カンヌで波紋!Netflixの映画は「映画」なのか?

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カンヌで波紋!Netflixの映画は「映画」なのか?

「劇場公開を前提としない、ネット配信優先」の作品がカンヌ「映画祭」のコンペにふさわしいか、それよりも前にそれを「映画」と言っていいのかという"Netflix問題"が起きている。

Netflixは自社作品のフランスでの劇場公開についてペンディングにし、それによって結局開催直前に映画祭側は来年からのNetflix作品を審査から外すと公表したのである。

今年は初めての試みの一つとしてNetflix製作の2作品とAmazon製作の1作品がコンペティション入りしているが、これに対し、審査員の記者会見で審査員長ペドロ・アルモドバルが「映画とは映画館の大きなスクリーンで暗闇の中多くの観客と共に観るものである。それが映画体験というものであり、映画はまず劇場で公開されるべきだと思う。劇場で公開しないで配信される作品に、これは個人的な気持ちだが賞を出したくはない」と口にした。

このコメントを受けて審査員の一人であるウィル・スミスが反論、「うちの子どもたちは週に2回映画館に行くが、Netflixでも映画を観ている。多くの映画館では上映されないような作品も、Netflixで見ることができることで、映画体験を豊かにすることもできると思う。これは個人的な意見だけれどね」

この話題はここでいったん終わったものの、二日後、さっそく上映時に思い出させられることになる。

審査員会見から2日後、公式上映された『オクジャ』はNetflixが製作したポン・ジュノ監督の作品である。近未来、食糧危機を見越して開発され、世界各地の選ばれた農家で飼育されている”スーパー・ピッグ”。韓国の農家が育ててきたスーパー・ピッグの名前が「オクジャ」なのである。飼育開始から10年後、オクジャとともに育った少女ミジャはニューヨークに連れ去られるオクジャを守ろうと、動物愛護団体とともに戦う、という物語だ。

プレスの試写は朝8時30分からリュミエール劇場で実施。マーケットの人もチケットを取れば入れるが、主にプレス向けのもの。今年は話題のNetflix作品に物申したいという人々がこの『オクジャ』のプレス上映には来ていたようだ。

スクリーンにNetFlixと社名が出るや、ブーイングの嵐。「裏切り者ー!!」などという声も聞こえる。本編が始まっても出演者やキャラクターに対して、ブーイングが浴びせられたりとけたたましい。プロローグが終わり、物語が10年後に進んだあたりでやっと騒ぎは収まった。が、突然今度は映像が止まった。どうもスクリーンのサイズ調整を間違えたらしく、もう一度最初から上映し直し始めたのである。二回目はもうブーイングも申し訳程度でそれもすぐに終わってしまった。さらに数日後もう一本のNetflix作品『マイロウィッツ家の物語』の上映時にはすっかりブーイングは姿を消した。

コンペ審査員を務めたこともある女優ティルダ・スウィントンは『オクジャ』に出演している。メジャー映画にも出るがインディペンデント映画のミューズのような存在として尊敬を集める女優だ。その彼女がNetflix擁護のコメントを『オクジャ』の記者会見で発言したのが騒動の鎮静化に一役買ったのではないかと思う。

ティルダは言った。「審査員長といえどコメントはフリー。個人的な声明を発表するのもフリーというのは審査員を務める条件として認められています。賞をどうするかより、映画を真摯に見て話し合うことが大切なのです。今回のペドロのネットフリックスに対する意見について言うと、正直なところネットフリックスはチャンスを与えるという点で私は支持します。テレビ映画だっていいものもありますし、テレビだから、ネットだからと、映画の公開法式にこだわるより、作家の自由を大切にしたい。今回の『オクジャ』でいうなら、韓国人の監督がアメリカで、怪物と少女の交流を描くVFX作品を作るというチャンスを与えたのはネットフリックスなのです」

必ずヒットする(要素をそろえた)作品にしか出資しない、製作しない、配給しないし上映しないという傾向がどんどん強まる映画界で、実験的な作品、外国の監督作品、作家性の強いインディペンデントなドラマ作品、大人向けや女性向けのドラマ作品などは、もともと観客を選ぶもので、限られた興行成績しか期待できない。故に、出資・製作・配給・興業、いずれについても手がけてくれる会社を見つけることが難しい。それをNetflixが救ってくれる、という期待である。

ただし、この期待は過剰なものではないかという意見も出ていることは確かだ。ネットを使いこなす若者を念頭に置くNetflixは、結局若者向けの娯楽作品を好んで取り上げるだろうという予測、つまり映画について期待するのは経済的効果だけだという考えで作品を選ぶのではないかという危惧である。

トッド・ヘインズ監督の『ワンダーストラック』はAmazonの製作だが、会見でヘインズ監督がNetflix問題に触れ「Netflixと違ってAmazonは映画を愛しているから」とコメントした。『マンチェスター・バイ・ザ・シー』のような地味な作品をアカデミー賞に導いたのはAmazonである。家族ものとして似たような作品といえる『マイロウィッツ家の人々』はコメディであるし、出演者はベン・スティラーとアダム・サンドラーという一世を風靡したこともあるコメディアン二人である。ヘインズ監督の言わんとすることもわかる。

少なくともフランスでは非ネット映画界の意見が通った。けれどこの問題の勝負が本当に決まるのはまだちょっと先になるようである。が、共通の希望と課題は観客が映画を見る習慣を取り戻すことにある。そのために共同戦線が張れるなら、張ってもらいたいものだ。個人の意見として、だが。【取材・文/まつかわゆま(シネマアナリスト)】

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