綾野剛と村上虹郎が男の対決!『武曲 MUKOKU』で得た“希望”とは?
藤沢周の同名小説を熊切和嘉監督が映画化する『武曲 MUKOKU』(6月3日公開)で、綾野剛と村上虹郎が壮絶な男同士の戦いを体現した。人間の心の機微を迫力の映像とともに魅せる“熊切ワールド”が堪能できる作品として完成した本作。綾野と村上にインタビューし、熊切監督の印象、そして二人にとって、本作がどんなものになったかを語り合ってもらった。
本作は、剣道五段の腕前を持ちながら、ある出来事がきっかけで進むべき道を見失ってしまった研吾(綾野)と、天衣無縫の高校生・融(村上)との宿命の出会いを描く物語。
綾野にとっては、『夏の終り』(13)以来の熊切組への参加となった。「『夏の終り』の時は、熊切組に入れるという喜びが強く出すぎてしまって、地に足がついていなかった。やり残したことがあると思っていました。その後も熊切さんは会うたびに、『また次やりたいね』『今度は悪くて、悲しい男でやりたいね』とおっしゃってくださっていて。いつかそれが叶えられた時は、鮮度の高い素材として、自分をぶつけられるようにしたいと思っていました」と念願の思いを告白する。
熊切監督を「果てしない監督」と表現する綾野。「僕たちがグーッと芝居に入り込んでいくと、熊切監督も同じように過呼吸になっている時がある。非常に役者的で、僕たちと一心同体になろうとしてくれるんです。熊切さんは、役者全員のそういった思いを背負うから、一番ボロボロだったんじゃないかな」と気迫あふれる現場を述懐。
「そういった熊切監督だからこそ、そこに信頼が生まれる。今回は、熊切監督をノックアウトするつもりでと思いながらやっていました。とても信頼できる監督です」と並々ならぬ信頼を寄せる。
熊切組へ初参加となった村上は、「ずっと参加したかった。いつか熊切監督とご一緒したいと思っていた」と憧れの場所だったそう。「熊切監督は、役柄やシーンについて説明することはあまりしません。でも聞きたいことがあったらなんでも聞いてくれますし、誰よりも役者の近いところにいてくれます。お芝居をモニター越しではなくて、生で見てくれる監督。僕はすごくそれがうれしかったです」。
互いに死を身近に感じながら、剣での決闘へと突き進んでいく研吾と融の姿は、“現代の侍”のよう。暴風雨のなかでの10分間に及ぶ“ぶった斬りシーン”をはじめ、撮影は肉体的、精神的にも壮絶を極めたが、綾野は「撮影中は、地獄のような映画にしかならないと思っていた」と苦笑い。
しかしながら、「全編通して観た時に、『生きていること自体が希望なんだ』と感じられた。そして、『誰しもが誰かの子供だったんだ』ということに改めて気付かされました。それは僕にとって、すごく大きな影響でした」と完成作を観て、綾野は“希望”を見つけたという。「自堕落だった研吾が、自分を求めてくれる融と出会うことで生を感じていく。『生きている人間に希望があるべきだ』と思えた。そういった思いを、熊切さんと虹郎に教えてもらったような気がしています」。
2017年3月に20歳となった村上は「完成作を観てみると、今の顔と全然違う」と10代の自分を映し出した本作への思いを吐露する。
「本作の撮影の直前には、『仰げば尊し』というドラマをやっていました。ドラマでは青島という不良の役でしたが、僕にとって初めて、“自分に自信がある青年”という役で。人生において、ひとつの転機となった作品です。『武曲 MUKOKU』も同じように、自分に自信のある役どころ。それでも自分の信念がどこにあるかわからず、それが何かを知りたいという欲求を抱いた青年です」と融は、村上の幅を広げてくれた役のひとつとなった。「顔も体も今と全然違う。この当時は現場に行くと、どんどん体が引き締まっていくようで。撮影が終わった後、自分の体を見て『これは僕!?』と驚いていました(笑)」と、変化し続ける役者という仕事を大いに楽しんでいる様子だった。【取材・文/成田おり枝】