「もう一本映画撮らないと死ねん」長谷川和彦が『青春の殺人者』トークショーで水谷豊&原田美枝子との思い出を語る

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「もう一本映画撮らないと死ねん」長谷川和彦が『青春の殺人者』トークショーで水谷豊&原田美枝子との思い出を語る

第35回東京国際映画祭の共催企画として東京・京橋の国立映画アーカイブで開催中の「長谷川和彦とディレクターズ・カンパニー」。その開幕初日となった10月25日に、長谷川和彦監督のデビュー作で水谷豊が主演を務めた『青春の殺人者』(76)が上映。上映後のトークショーに長谷川監督が登壇し、映画界に足を踏み入れるきっかけから初監督作品に至るまでの話を1時間にわたってみっちりと語った。

【写真を見る】水谷豊が主演を務めた『青春の殺人者』。原田美枝子は当時17歳!
【写真を見る】水谷豊が主演を務めた『青春の殺人者』。原田美枝子は当時17歳![c]1976 TOHO CO., LTD.

中上健次の短編小説「蛇淫」を原作に、衝動的に両親を殺した予備校生の順(水谷)と、幼なじみである恋人のケイコ(原田美枝子)の虚無的な逃避行を描く『青春の殺人者』。公開年の「キネマ旬報ベスト・テン」では日本映画第1位を獲得したほか、主演男優賞と主演女優賞、日本映画監督賞と脚本賞(田村孟)を受賞するなど高い評価を獲得。その後の日本映画界を牽引する俳優やクリエイターたちに絶大な影響をもたらした作品としていまなお語り継がれている。

登壇するや長谷川監督は、集まった観客たちの年齢層をチェックし、20代の少なさにぼやきながら会場の笑いを誘う。そして『青春の殺人者』を手掛けるに至った経緯について語り始めるのだが、作品の予算が少なくノーギャラで監督した話から、同作の製作を務めた今村昌平の「今村プロダクション」の話につながり、そこから長谷川監督自身が映画界を志すきっかけの話まで遡ることに。

高校3年生の頃に友人の兄が高倉健と一緒に写っている写真を見たことで心動かされ、助監督になるため東京大学に入った話や、シナリオ研究所で浦山桐郎のゼミに参加し、今村プロの助監督試験を紹介されたという話。今村が監督を務めた『神々の深き欲望』(68)に参加した後に給料が滞り、今村プロの事務所に住むようになった話や、日活に出向して助監督としてさまざまな作品に参加した話。その後日活で監督作の企画が持ち上がるも実現には至らなかったことなどを語った。

そして、その頃にATGの多賀祥介から声を掛けられたという。「23か24の時、『センチメンタルジャーニー』というタイトルのピンク映画を1本撮った。『イージー・ライダー』のピンク版みたいな脚本を書いて、予算が350万か450万ぐらい。でも8割か9割か撮影したけど結局完成できずに流れたんだ。ラッシュプリントが東京現像にあったけどそれもなくなって。あればいまでも仕上げるんだがね。そういうことがあったから、今回は絶対流しちゃいかんという思いでやったんだ」と、『青春の殺人者』を手掛けた当時の想いを述懐。

「なぜこの映画を選んだかというと、中上健次の小説を田村孟さんが教えてくれたのを読んでみて、両親をきっちり殺す映画を作ろうと思った。ただ脚本に困ったので孟さんに頼み、俺は音楽をどうしようかと考えていた」と明かし、「映画はできたけど現場は大赤字で、1000万円近く赤字が出たから、あとはチケットを売って返すしかないと思って、1人で5000枚売った」と振り返る。そのチケット代でしばらく生活してしまい、ATGにチケット代を精算する時に500万円の借金をしたという。

「結果的に(キネマ旬報の)ベストワンになってくれたんでちょっと格好がついたかな。それはうれしかったし、読者にも評判が良かった。『太陽を盗んだ男』は第2位だったけれど読者からは第1位だった。やっぱり読者からの第1位が一番うれしい。批評家に褒められてもなんとも思わないけれど、客に褒められるのを楽しみにやってるんだから。これで今村プロにも恩返しができたなと思った」。


長谷川和彦が水谷豊を口説き落とした言葉とは?
長谷川和彦が水谷豊を口説き落とした言葉とは?

『青春の殺人者』で主演を務めた水谷豊は、その後「熱中時代」や「相棒」シリーズで国民的人気を獲得。また原田美枝子も数々の映画やドラマに出演。連続テレビ小説「ちむどんどん」や、川村元気監督の『百花』(公開中)など、いまなお最前線で活躍を続けている。「豊はしつこい演出にもめげずについてきてくれた。最初に『お前、ジェームズ・ディーンやるか?』と言ったら二つ返事で乗ってきたよ。そんな簡単な話じゃねえのに(笑)」と、名優との当時の思い出を振り返る。

「美枝子は一番いい度胸していた。監督の俺が30歳で豊が24歳、美枝子が17歳。でも全スタッフ・キャストのなかで一番堂々としていた。それはいまも変わらんのだろうな」としみじみ。そして2人のいまの活躍ぶりについて「『青春の殺人者』の2人は俺と一緒に作ったものだけど、いまの2人は俺が作ったもんじゃねえからな」と優しく微笑む長谷川監督。最後に立ち上がると「このまま死なないから俺は。もう一本映画撮らないと死ねんから」と高らかに宣言。会場を大きく沸かせていた。

企画上映では、長谷川和彦のもう1本の監督作『太陽を盗んだ男』(79)などを上映
企画上映では、長谷川和彦のもう1本の監督作『太陽を盗んだ男』(79)などを上映[c]1979 TOHO CO., LTD.

今回の特集上映では、キャリアで監督作がわずか2本しかないことで“伝説の監督”と称される長谷川監督の『青春の殺人者』と『太陽を盗んだ男』(79)に加え、1982年に長谷川の呼びかけによって設立した企画・製作会社「ディレクターズ・カンパニー」によって製作された、池田敏春監督の『人魚伝説』(84)や石井聰亙(現:岳龍)監督の『逆噴射家族』(84)など7作品が上映される。

取材・文/久保田 和馬

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