『逆転のトライアングル』でルッキズムや階級社会へ斬り込んだリューベン・オストルンド監督。そのねらいは?
「人間は甘やかされると、どのような反応を示すのかに興味があります」
また、カールとヤヤが、夕食代を巡ってどちらが支払うかを口論するシーンは、実際に監督自身のリアルな経験談から着想を得たそうだ。
「僕とシーナの関係が始まったばかりのころ、僕は彼女にいいところを見せたくてカンヌに招待したんです。初日の夜、2日目の夜、3日目の夜と、僕が夕食代を払ったところで、そのことを切り出しました。そのあと、僕は1人で部屋に戻って腰を下ろした時に『ああ、2人の関係をぶち壊してしまった』と思いましたが、彼女は戻ってきたので、落ち着いて話し合いました。本心をさらけ出し、お互いの弱いところも見せられるようになったおかげで、彼女とはもっと親しくなれたんです」。
豪華客船にカールとヤヤを乗せた理由については「最後の舞台は無人島にしたいと思っていたから、豪華客船はあくまでそこへ向かわせる手段であり、モデルのカップル、億万長者、掃除婦といった個性豊かなキャラクターたちを登場させるための道具にすぎなかったです。無人島では、その掃除婦が魚を釣ったり、火をおこしたりできるとわかり、かつてのヒエラルキーがひっくり返ります」と、その意図を明かす。
セレブリティたちが嵐の間に激しく嘔吐するシーンは、裕福な乗客が腹立たしいくらいわがままなふるまいをすることへの復讐のようにも見えるが、監督自身は「それもありますが、僕はこのシーンを物語の転機にもしたかった。観客がこのシーンを観たら、彼らも十分に苦しんだことに同情して、救ってやりたいという気持ちになるだろうと思いまして」と別の意図もあったことを明かした。
また、監督は富裕層について「人間は甘やかされると、どのような反応を示すのかに興味があります。たとえば、僕でもビジネスクラスの飛行機に乗れば、いつもより優雅に読書をし、飲み物を堪能して、エコノミークラスに向かう乗客たちを眺めます。特権に影響されないなんて、ほぼ不可能なんです」と冷静に述べる。
さらに「富裕層は立派な人たちだと思っています。成功した人の多くは社交性に優れているし、そうでなければ、成功なんかしていません」と補足する。
「裕福な人々はひどい連中だという通説が根強いけれど、それは話を単純化しすぎではないかと。本作では、親切なイギリス人老夫婦を誰よりも親しみやすいキャラクターに描いています。たまたま彼らが地雷と手榴弾で財を築いただけで、誰に対しても優しくて、謙虚な人たちであり、そのほうが、作品の世界観を描くうえで、より正確な描写になると思いました」。
劇中では、身も蓋もない人間のおろかさやこっけいさが露呈していき、いたたまれない笑いを生みだしていくが、なぜか共感してしまうところも、オストルンド監督のなせる技。オスカーの受賞結果も楽しみに待ちたい。
構成・文/山崎伸子