人気連載を終えた漫画家のその後とは…?作家・松久淳が語る『零落』
全国11チェーンの劇場で配布されるインシアターマガジン「月刊シネコンウォーカー」創刊時より続く、作家・松久淳の大人気連載「地球は男で回ってる when a man loves a man」。今回は、「ソラニン」の作者・浅野いにおの漫画を原作に、竹中直人が映画化した『零落』(3月17日公開)を取り上げます。
中年クライシスを経験した人には響くと思います
今回は私的“身につまされ度”が高すぎた、浅野いにお先生原作、竹中直人監督の『零落』です。
8年の長期連載を終え、人気に陰りが見え始めた漫画家・深澤。新作に取りかかれず、敏腕編集者の妻と距離ができ、アシスタントともトラブルになり、自堕落に過ごす日々。そんな時、風俗で呼んだ女の子と親密になっていき、という話。
描けなくてなにも出てこない時の焦燥感、それを誰にもわかってもらえない苛立ち、売れなくなったら打ち合わせもあと回しにするけど、また売れたら手のひら返しで媚びる編集者、作品を読まずに取材に来る適当なインタビュアー、売れることと描きたいことのそれぞれの理想と現実、心ないネットの書き込み。
大人気漫画家先生と比較することすらおこがましいですけど、こんな中級作家の私でも「わかるわあ」となる、観ていていたたまれないくらいの描写の数々。
「神格化したファンが残っても、昔売れたことを鼻にかける老害作家になるのが関の山だろうね」
深澤の自嘲的なこの台詞、痛すぎますって(その前にどの先生を思い浮かべてるんだろう……)。
でも私とは決定的に違うのが、主人公の生き様。
深澤はものすごくエゴイスティックで、一見常識人風なんだけど一般的な尺度で動いてない人物。自分の意見は一方的に押しつけるし、身勝手な振る舞いを身勝手とも感じてない。周りに「おまえは昔から自分のしたいようにしてるだけ」「他人の気持ちなんかどうでもいい」「周りの人間をないがしろにしてる」とまで言われる、簡単に言うと、嫌な奴。
でも、大ヒット大ブームを生む漫画家はそのくらい、我を通す人間でなければいけないんだな、そしてそんな人物だから映画の主人公として成り立つのだなと、いたって凡庸な私自身の小物ぶりを自覚させられた次第でした。
と、そんな漫画家や作家の話だけでなく、鬱やスランプになったり、人間関係もうまくいかなくなったり、体力的にも精神的にも老いを実感したりする“中年クライシス”を経験した(してる)人には響くと思います。
私も経験ありますが、若い時のようにいかなくなってきて、次の人生に立ち向かわなくてはならない時期は本当にきつい。深澤の堕落と彷徨に自分を重ねる人も多いのではないでしょうか。
不勉強で原作は映画を観たあとに拝読したのですが、物語や台詞はほぼ原作に忠実でした。キャストの皆さんもよく、とりわけ深澤の妻役のMEGUMIさん(本作のプロデューサーも兼任)はぴったりだなあと思いました。
最後に個人的なことですが、ずっと一緒に暮らしていた猫が死んでしまうとか、小さなプライドで連絡しないと決めた女子に、寂しくてつい食事に誘う一文を送ってしまうとか、ミューズ的な存在の女性が生まれ育ったのが閑散とした茨城の町とか、ディティールがあまりに私にシンクロすることばかりだったので、ずっとそわそわしてました。ここまできたら、深澤と同じように風俗呼んでみようかとすら思ってしまいましたもん。
完全に余計な一文を書いてる自覚はあります。呼んでないですよ、一応。
文/松久淳
■松久淳プロフィール
作家。著作に映画化もされた「天国の本屋」シリーズ、「ラブコメ」シリーズなどがある。エッセイ「走る奴なんて馬鹿だと思ってた」(山と溪谷社)が発売中。