2023年初のサプライズ・ヒット!トム・ハンクス主演『オットーという男』を成功に導いた、ソニー・ピクチャーズの戦略
昨年末アメリカで公開されたトム・ハンクス主演作『オットーという男』は、2023年初の、そしてパンデミック以来久々のサプライズ・ヒット作として、配給のソニー・ピクチャーズの劇場公開戦略そして宣伝マーケティング手法が注目されている。ポッドキャスト番組Anklerに出演した映画部門社長は「劇場独占公開を100%支持する当社の哲学がヒットの大きな助けになりました」と語った。その理由を紐解いてみよう。
最も重要なことは『オットーという男』が、映画文化を愛し、映画を観る目が肥えたファンの鑑賞に耐えうる良作であること。2016年の第89回アカデミー賞で外国語映画賞(当時)とメイクアップ&ヘアスタイリング賞にノミネートされたスウェーデン映画『幸せなひとりぼっち』(15)を原作に、トム・ハンクスが製作総指揮と主演を務める。妻に先立たれた初老の男オットー(トム・ハンクス)が、人種も生活様式も異なる隣人一家と交流を重ねるうちに、長い年月彼を蝕んでいた思いを解き放つ物語だ。
ちなみにオットーの若年期を演じるのは、ハンクスとリタ・ウィルソンの息子トルーマン・ハンクス。マーク・フォスター監督とプロデューサーのウィルソンの案で、俳優ではなく撮影関係の仕事についている彼が抜擢された。“小さな邂逅が大きく人生を動かす”という、トム・ハンクスが彼のキャリアを通して演じてきたような、正統派のハリウッド映画と言える。日常から切り離された映画館で良質なエンターテインメントを楽しみ、鑑賞後に心が少し軽くなるような体験を愛してきた映画ファンに届いたことが、今作のサプライズ・ヒットにつながったと考えられている。
配給のソニー・ピクチャーズは、劇場ブッキングを三段階に分け、まず年内にNYとLAの4館で公開。これはアカデミー賞候補要件を満たすための日程でもあるが、この時期に公開される映画は賞狙い作品ばかりで、一般観客の嗜好と乖離している状況を突いた判断ともとれる。翌週の1月6日に全国637館で公開する際には、地方都市に住む映画好きのファンに届くよう各州の中規模都市で集中的に公開し、口コミが広がっていった。さらに、第3週目の1月13日に全国3800館での拡大公開を行い、2週目から3週目の間に従来の映画宣伝マーケティングよりも多めの割合で、雑誌広告とTVスポットを投入した。
ソニー・ピクチャーズの映画部門担当社長は、「パンデミック以降映画館に戻っていないと言われている55歳以上の観客に情報を届け、映画館に足を運んでもらうには時間がかかります。100%劇場公開を支持し、45日間劇場で独占公開するという当社の哲学が功を奏しました」と語っている。今作の劇場別興行成績ランキング上位50館にはNYやLAの劇場は1館も入らず、アリゾナ州、フロリダ州、オハイオ州などの劇場で好成績を修めたという。『オットーという男』のヒットは大きな話題となり、一時期はトム・ハンクスの映画賞での活躍も期待されたほどだ。
2020年3月のパンデミック以降、劇場の閉鎖に伴い多くの映画が短期決戦型公開を強いられるようになった。例外作品もあるが、劇場公開後17日間〜21間程度でPVOD(プレミアム・ビデオ・オン・デマンド=都度課金型配信)配信へ移行してしまうため、宣伝にも即効性が求められる。そんななかでも、ハリウッド5大スタジオで唯一系列ストリーミングサービスを持たないソニー・ピクチャーズは、45日間の劇場独占公開を守り続けている。SNSによる即時性ではなく、時間をかけて公開規模を広げ口コミにつなげるマーケティング手法で、『オットーという男』のような作品を心待ちにしている観客に、余すことなく情報を伝えることができた。つまり、これは“サプライズ”ではなく、作品の特性やポテンシャルを適切に把握し、作品ごとに異なる宣伝マーケティングを行った努力の結実と言える。
トム・ハンクスの初期名演技の『ビッグ』(88)のジョシュ、『フィラデルフィア』(93)のアンドリュー、『フォレスト・ガンプ/一期一会』(94)のフォレスト、『キャスト・アウェイ』(00)のチャック、『ターミナル』(04)のビクターから、最近の『この茫漠たる荒野で』(20)のジェファーソン、そしてこの『オットーという男』のオットーまで、ハンクスはずっと人間が持つ可能性を演じてきた。今作のヒットは、映画が持つ可能性を信じたハンクスとソニー・ピクチャーズの強い思いが、アメリカ全土の観客にも届いたということだろう。現在日本でも公開中なので、ゆっくり、じっくりとこの作品の滋味を味わってほしい。
文/平井伊都子