神田伯山が語った“挑み続けた男、アントニオ猪木”の生き様「最後の最後までアントニオ猪木のままでいた」

インタビュー

神田伯山が語った“挑み続けた男、アントニオ猪木”の生き様「最後の最後までアントニオ猪木のままでいた」

2022年10月1日。数々の伝説的なエピソードを残してきた唯一無二の男、アントニオ猪木が79歳でこの世を去った。日本を代表するプロレスラーでありながら、実業家、政治家としての顔も持つアントニオ猪木とは、一体どのような存在だったのか。没後1年を経て、猪木が設立した新日本プロレス創立50周年を記念して企画、製作された『アントニオ猪木をさがして』(公開中)は、“挑み続けた男、アントニオ猪木”に迫っていくドキュメンタリー映画だ。

「馬鹿になれ!」「元気ですか!?」など、誰もが1度は耳にしたことのある、猪木の発した“言葉”の数々を切り口にし、「ドキュメンタリー」「短編映画」「貴重なアーカイブやスチール」という3つの要素で構成された本作で、1987年に行われたアントニオ猪木VSマサ斎藤の“巌流島の戦い”を書き下ろしの講談で披露している神田伯山。猪木から多大な影響を受けた一人だ。

「どの姿も僕のなかではアントニオ猪木のままなんです」

「好きな方が亡くなる時はいつも同じ想いになります。談志師匠が亡くなった時もそうでした。猪木さんが亡くなって1年が経ったいま、改めて思うのは『楽しませていただいてありがとうございました』ということ。もう感謝しかないという感じです。最後の最後までアントニオ猪木のままでいた。もちろん、おつらい時期もあったと思うし、近しい方には猪木寛至(アントニオ猪木の本名)としての姿を見せることもあったと思います。最後は(病室に)カメラを入れて撮っても構わないとおっしゃって。あれも猪木ファンの間では賛否両論ありましたけれど、そこも談志師匠と通じるところを感じました。自分がつらい時なんかも全部晒す姿を見て、人生みたいなものを感じさせていただいた気がします」と、自身に多大な影響を与えた存在への感謝を明かした。


猪木のすべてを晒す姿から、人生のようなものを感じたそう
猪木のすべてを晒す姿から、人生のようなものを感じたそう[c]2023「アントニオ猪木をさがして」製作委員会 写真:原 悦生

どんな姿を見せようと、伯山のなかで猪木に対する思いや印象は変わらない。「肉体も隆々としていた20代、30代の猪木さんから、老いて弱って愚痴も吐きたくなるという猪木さんまで我々に見せてくれる。どの姿も僕のなかではアントニオ猪木のままなんです。不思議と一線を超えないというのかな。『猪木さんも歳をとったなあ』とは思わなくて。病気になっても、弱っていても『あ、猪木さんだな』って。例えば自分がなにかつらいとかきついとか感じた時に『いま、猪木さんが生きてるんだよな』というのが心のどこかにいつもいる。猪木さんが生きていてくれるから、自分も頑張ろうという気持ちに知らないうちになっていたのだと、亡くなってより分かったような気がしています」。