80年代のノスタルジックな東京を閉じこめた幻の映画『TOKYO POP』が東京国際映画祭で上映!主演のダイアモンド・ユカイが当時を振り返る

コラム

80年代のノスタルジックな東京を閉じこめた幻の映画『TOKYO POP』が東京国際映画祭で上映!主演のダイアモンド・ユカイが当時を振り返る

エモーショナルな80年代の東京を記録した『TOKYO POP』

1988年、バブル景気に浮かれた東京を舞台に、1本の日米合作映画が作られていた。NYから東京にやってきた女性、ウェンディ(キャリー・ハミルトン)の目に映る80年代の東京の姿と、ミュージシャン志望の青年ヒロ(田所豊、現ダイアモンド・ユカイ)との淡い恋。『TOKYO POP』は日本でも公開されたが、北米配給会社の倒産によって、上映だけでなくソフト化もされていない幻の作品となっていた。

80年代の東京を舞台に、NYからやってきた女性ウェンディ(キャリー・ハミルトン)と、ミュージシャン志望の青年ヒロ(ダイアモンド・ユカイ)の淡い恋を描いた本作
80年代の東京を舞台に、NYからやってきた女性ウェンディ(キャリー・ハミルトン)と、ミュージシャン志望の青年ヒロ(ダイアモンド・ユカイ)の淡い恋を描いた本作[c]2023 Kino Lorber, All Rights Reserved

それから35年、偶然もしくは奇跡と呼べるような運命を辿り、『TOKYO POP』は再びアメリカで上映されることになった。しかも4K修復版で。8月に米ロサンゼルスで行われた修復版のプレミアには監督のフラン・ルーベル・クズイ(「バフィー~恋する十字架~」)、プロデューサーの葛井克亮、そして主演のダイアモンド・ユカイ、2003年に亡くなったキャリー・ハミルトンの母で女優のキャロル・バーネットらが出席した。10月30日(月)には、東京国際映画祭の特別企画として『TOKYO POP 4Kデジタルリマスター版』上映とシンポジウムが行われる。

左から葛井プロデューサー、ダイアモンド・ユカイ、フラン・ルーベル監督、サンドラ・シェルバーグ
左から葛井プロデューサー、ダイアモンド・ユカイ、フラン・ルーベル監督、サンドラ・シェルバーグ

ハリウッドのチャイニーズシアターで行われた上映に立ち会った名女優のキャロル・バーネット(最近では『ベター・コール・ソウル』に出演)は、「キャリーが輝いている姿を再び目にすることができたのは、特別な魔法のようでした」と、スクリーンに蘇った亡き娘の姿に感嘆の声をもらした。映画の主題歌を35年前と同じように熱唱したユカイは、「キャリーに向かってこの歌を歌いました」と、上映後にジャパン・ハウス・ロサンゼルスで行われたレセプションで語っていた。『TOKYO POP』がこのような形で再びスクリーンで上映されたのは、アメリカのインディペンデント映画をめぐる状況の変化と、それを救おうとする有志の想いがあった。

【写真を見る】LAプレミアで『TOKYO POP』の主題歌を熱唱したダイアモンド・ユカイ。亡きキャリー・ハミルトンへの想いとは?
【写真を見る】LAプレミアで『TOKYO POP』の主題歌を熱唱したダイアモンド・ユカイ。亡きキャリー・ハミルトンへの想いとは?

音楽や絵画に興味を示していた新進アーティストのキャリー・ハミルトンと、まだ本名の田所豊で活動していたダイアモンド・ユカイが主演し、タイトルロゴをキース・ヘリングが手掛けた『TOKYO POP』は1988年4月に北米で公開されている。その後、当時の配給会社が倒産し、監督のフラン・ルーベル・クズイも30年以上この映画をスクリーンで目にすることはなかった。ところが2019年11月にNYのジャパン・ソサエティで行われた上映に、インディペンデント映画のフィルム修復を担う非営利団体Indiecollectの代表、サンドラ・シェルバーグが居合わせ、「デジタル修復を行い再上映しましょう」と会場から名乗りを上げた。シェルバーグは「80年代の東京で女性監督が作った驚くべき初監督作品なのに、様々な因果によって鑑賞機会が限られていた」と今作を修復したいと考えた理由に挙げている。

当時24際だったダイアモンド・ユカイ。いま振り返る、当時の思い出とは

「当時はすべてが一気に駆け抜けていった気がします」と語るユカイ
「当時はすべてが一気に駆け抜けていった気がします」と語るユカイ[c]2023 Kino Lorber, All Rights Reserved

撮影当時、ユカイは24歳。この映画に出演したことで、その後の人生が大きく変化したという。「僕は演技についてまったく知らなかったので、キャリーから受けた影響は大きいです。NYのインディペンデント映画界が、より自然体な演技を取り入れていた時期だったこともあって、それをキャリーから受け取りました。彼女はロックが大好きで『TOKYO POP』に出演したころは、まさに女優として花開こうとしている時。彼女と一緒にいる時は、音楽の話ばかりしていました。実際に彼女の母親は大女優で、この映画を観ても、お母さんの血を引いていることがわかるでしょう」と、撮影中のことを思い返した。


キャリー・ハミルトンは2002年、癌により38歳の若さで亡くなっている
キャリー・ハミルトンは2002年、癌により38歳の若さで亡くなっている[c]2023 Kino Lorber, All Rights Reserved

劇中のヒロと東京の街の変化は、彼が歩んだ軌跡とも重なるところがある。「僕は撮影当時24歳で、それから27歳くらいまでは、やっていたバンドの人気が出てきたころと重なり、すべてが一気に駆け抜けていった気がします。東京でのキャリーはいつもひとりぼっちだったので、自然と一緒にいることが多かったです。キャリーやフラン(監督)ともずっと一緒にいたので、僕の英語もだんだん上達しました。映画にもその関係性が出ていると思います」と語る。2002年1月20日に癌で亡くなったキャリー・ハミルトンとの関係もしばらく続き、キャリーの死にはユカイも大きなショックを受けたと言う。「撮影後も交流は続いていて、LAに遊びに来るとキャリーと会ってライブを見に行ったりしていました。当時、僕の元バンド仲間がLAに住んでいて、よく遊びに来ていたんです。その後、彼も帰国してアメリカにあまり行かなくなってしまって、キャリーと会うことも減っていきました。プロデューサーの葛井さんからキャリーの訃報を聞いて『どう考えてもそれはないだろう、若すぎる』と大きなショックを受けました」。

劇中ではバブル景気に浮かれた80年代の東京が描かれている
劇中ではバブル景気に浮かれた80年代の東京が描かれている[c]2023 Kino Lorber, All Rights Reserved

80年代のバブル前夜の東京の景色が『TOKYO POP』に記録されていることも、街の歴史を伝える重要な資料となる。同じく、異邦人の目から東京を描いたソフィア・コッポラの『ロスト・イン・トランスレーション』(03)と比べると、東京の街が変化していることが見て取れる。『ロスト・イン・トランスレーション』にも出演しているユカイは、東京の街の変遷についてこう語る。「撮影が行われた1986~7年ごろの東京は、バブルが始まる直前で、街の熱気が違います。2000年代に撮られた『ロスト・イン・トランスレーション』の東京は綺麗で洗練されていますが、空気が死んでいるように感じました。『TOKYO POP』と同じような構図で撮られた映像がたくさん出てきますが、ソフィアが撮った東京は全然違います。80年代の東京はガチャガチャしているけれど、エネルギーがある。その後バブルに突入するので、これから盛り上がっていく街の空気感が映されていると思います」。

『TOKYO POP』より
『TOKYO POP』より[c]2023 Kino Lorber, All Rights Reserved

『TOKYO POP 4Kデジタルリマスター版』は、撮影から37年の時を経て東京の街で再上映される。映画には、三上博史やX JAPANのYOSHIKIのほか、80年代の日本風俗を彩っていた様々な俳優やタレントがカメオ的に出演している。その中には、キャリー・ハミルトンのように既に亡くなっている人も多い。80年代バブル直前の東京にどんな空気が流れていたのかを知る優れた資料映像であるとともに、新進俳優のキャリー・ハミルトンと田所豊のはかなくも美しいラブストーリーを観ることができる。当時の東京を覚えている人だけでなく、東京にこのような時代があったことを知るためにも、4K修復された奇跡のような作品を東京国際映画祭で鑑賞してほしい。

文/平井伊都子

※ダイアモンド・ユカイの「・」は「☆」が正式表記

映画の力で世界をカラフルに!「第36回東京国際映画祭」特集

関連作品