映画業界における女性の環境はどう変化した?日本、韓国、米国での経験を映画人が語る「ウーマン・イン・モーション」ロングレポート
「女性やマイノリティの方はまだスタートラインにも立っていない」(鷲尾)
映画業界における女性たちのムーブメントに、2017年にアメリカで始まった「#Me Too」運動がある。有名プロデューサーのハーヴェイ・ワインシュタインの性的虐待を告発したNYタイムズの記事が発端となり、やがて業界における女性雇用比率や賃金格差といった相対的な差別の問題への抵抗運動へと発展していった。当時アメリカ・ロサンゼルスで仕事をしていた鷲尾プロデューサーは、「#Me Too」による結果として、女性の労働環境は改善されつつあると語る。40代以上の女性主人公の作品が少ないのならば自分で作ろうと制作会社を立ち上げたリース・ウィザースプーン、そして黒人女性監督の第一人者であるエイヴァ・デューヴァネイ監督(『セルマ』『僕らを見る目』)は、積極的にマイノリティ人種をスタッフに起用し、映画界の包摂性を上げる動きを起こしている。
鷲尾プロデューサーは、「それまで白人男性が主に雇われていたポジションに、意図的に必ずマイノリティか女性を、という声が一気に上がりました。私自身は、実力のある人を雇って、それがたまたま全員白人男性や黒人女性でもいいのではと考えていました。でもアメリカ人との議論の中で、いままで白人男性がずっと雇われてきたのだから、女性やマイノリティの方はまだスタートラインにも立っておらず、経験を積んできた白人男性と比べるのは不公平だ、だからいまは意図的に機会を与えるために女性やマイノリティを雇って、そのあとに、平等に実力で比べられる時代がくるのだ、と言われハッとしました」と、実体験を交えて述べた。
映画に出演し始めて25年ほどになるペ・ドゥナは、韓国の映画制作現場における女性の扱われ方に疑問を抱いていたという。「私が最初に女性監督と仕事をしたのがチョン・ジュリ監督の『子猫をお願い』という作品で、2000年代序盤でした。いまだから感じるのは、当時女性映画監督は本当に少なく、撮影現場にも女性スタッフはいましたが、彼女たちが最年少でいる間はみんなにかわいがられるけれど、彼女たちが監督になった時は摩擦が生じるようになります。当時は、どうして男性の監督だと生じないような葛藤が女性監督には生じるのだろう、それは本当に不当だと感じていましたが、いまはそんなことはなくなりました。20年間の間に、#Me Tooもありましたし、人々の意識が改善されていっていることもあると思います。最近チョン・ジュリ監督の『私の少女』に出演しましたが、女性スタッフがたくさんいる現場で、発展していると感じました。アメリカは言うまでもありません。何度もご一緒したウォシャウスキー監督の現場は当然オープンですし、平等です。マイノリティに向けられる偏見のようなものもありません。いろいろな意味で学びのある現場でした。私は長い間儒教の教えを受けた国で育ったので、男性女性というのは単に性別であるだけで、仕事においてはまったく関係ないと気づきました」と、ペ・ドゥナは海外での経験を交えて語ってくれた。
水川は二人の話を聞きながら「いま、とても学びになる時間を過ごしています」と言い、当時日本では#Me Tooについてあまり言及されていなかったが、「今日のこのトークショーのように、問題提起されることが多くなったように感じています。日本人の性質としてすぐに変わるのはなかなか難しい。だから現場で変えていかなきゃと思っても、結局変わっていかないのはそういうところにあるのかなと思います。根本的にいろいろな水準を上げなくちゃいけないんだろうなと思うし、純粋に『この作品に関わりたい』と思う人たちと作品を作る環境づくりにもつながってくるのではないでしょうか」と語る。そして、「先進国の中でジェンダーギャップ最下位を毎年更新し続けている日本から来た私としては、アメリカは本当に天国のような環境でした」と言う鷲尾プロデューサーが、「アメリカはこうして短期間で業界がガラッと変わったので、そういう変化を恐れないアメリカの底力も知りました。日本は変わることがものすごく不得意なので、最初はコピーからでもいいのでやるべきだと思います。韓国の映画界から学ぶこともいっぱいあります」と、問題意識が高まりつつある日本映画界の変革に期待を寄せる。
パネリストの3人、そしてモデレーターを務めた映画評論家の立田敦子を含めた4人は、映画界における疑問や問題点について活発な議論を交わし、1時間のトークからたくさんの金言が飛び出した。特に鷲尾プロデューサーがもらした「出る杭は打たれる」という言葉に水川あさみは深くうなずき、ペ・ドゥナは何度も「出る杭…」とつぶやいた。韓国語では「尖った石はノミに打たれる」というそうだ。彼女たちが投げかけるメッセージがたくさんの杭や石となって会場を舞い、満場の観客を勇気づけているようだった。最後のまとめで、これから映画を目指す人々へ、三人三様のエールを贈った。
鷲尾賀代「20代とか若い方は本当に、アメリカのフィルムスクールに行くのが一番早い手だと思います。システマティックな卒業生達の仕組みもありますし。いまはだいぶ変わってきたと思うんですけど、本当に厳しい世界だと思います。日本の文化として『出る杭は打たれる』というのがありますが、まず、打たれてもそこまでめげないメンタリティーを持つのは大事ですね。運ももちろんすごく重要な要素ですが、その運を引きつけること、チャンスは一回とか数回しかやってこないので、掴み取る準備を常日頃からずっとしておくこと。そういうふうにやっていれば、誰かがどこかで見てくれているんじゃないかなって、私は信じて今後も頑張っていきたいと思います」。
水川あさみ「ちょうど6年ぐらい前、プロダクションに所属していたのを辞めて独立しました。それまでは私は割とテレビドラマの仕事が多く、しかしずっと『映画に関わりたい、舞台もやりたい』っていう、自分のやりたいことがすごく明確にあるなかで、そこにいるのはちょっと違うなあと思って、独立したんです。そのころの業界の動きは、それこそ本当に出る杭は打たれるじゃないけど、煙たがられるような存在になった時期もあったんですが、でもやっぱり映画に関わりたいってすごく純粋な気持ちがあって。 私なりに一歩ずつ一歩ずつやってきたつもりではあったんですね。ここ数年、たくさんの映画でご一緒させていただくこともできて、『映画の神様が肩を組んでくれた、やったぜ!』ということがありました。女性であっても男性であっても、なにが起きても自分のこの確固たる気持ちは変わらないんだっていう強いポリシーというか、マインドを持ち続けることがすごく大事な気がします」。
ペ・ドゥナ「日本の映画界で『出る杭は打たれる』という言葉を聞いて、ちょっと衝撃を受けました。出る杭は…打たれますよね。でも、杭がたくさん出ていたら、どこに当てたらいいのかわからなくなって大変になるかもしれません。だから当たって砕けろ、ぶつかってみる。そして、これから映画を始めようとしている人たちには、先輩として応援しています。勇気と希望を伝えたいです」。
取材・文/平井伊都子