『夜明けのすべて』三宅唱監督のティーチインをロングレポート!松村北斗&上白石萌音に絶大な信頼感「彼らでなければ、身近に感じられる映画にはならなかった」
「舞台が、プラネタリウムと関連している。その理由は?」という質問もあった。本作の脚本準備中に「たまたま旅先でプラネタリウムに行く機会があった。心が洗われて、気持ちが伸び伸びとしていった」という三宅監督。「その感覚が、『夜明けのすべて』の2人が感じている温かい気持ちとリンクするなと思った」と直感したそうで、「映画館もプラネタリウムにちょっと似ている。映画館で映画を観ることと、登場人物のいるプラネタリウムが重なることで、また一つすばらしい映画体験になってほしいという想いがあった。瀬尾さんに提案させていただいたところ、大きな器で快諾していただいた」と感謝しきりだ。
続いて「原作だと“過去”として描かれていたことが、映画だと“現在”のこととして描かれている場面があった。そうすることで、痛みが生々しく、苦しいものに感じられた。“現在”として表現したのはなぜでしょうか?」との疑問に、三宅監督は「小説では、時間軸が過去や未来に飛んだとしても、読んでいる時は現在のこととして読める。それが小説のおもしろさ。映画だとどうしても『ここから回想シーン』という言い訳が必要になる」と小説と映画の違いについてコメント。「それによって温度や鮮度が損なわれて、山添くんの苦しみが見えなくなるのはもったいないなと思った」と解説した。
さらに「夕日の映像が大好き。ロケ地を選ぶ決め手は?」とロケーションに関心を向けられると、三宅監督は「本作は、11、12月という、日本の季節で言うと、一番光がきれいな季節に撮れるすばらしいタイミングだった。しかも16ミリフィルムで撮れる。ロケハンでは、光の向きも気にしていました」と口火を切りつつ、「生きていると、今日は調子が悪いとか、悩んでいてテンションが上がらないという時も多々ある。そういう時でも『遊歩道に鳥がいる、蝶々がいる!』とか、そういったことで救われることもある。そういう反応ができるようなものはあるかなということも、気にしています」と心が動くような瞬間も探しているとのこと。
「天気にこだわっていた」というポイントについても尋ねられ、「“悲しい時に雨が降り、気持ちいい時に晴れる”という、ある意味、お決まりの表現も間違ってはいない。そういった表現もやる」と天気での感情表現について話した三宅監督。「ただ実際は、楽しい気持ちの時にも雨が降るし、悲しい時にも晴れたりする。それくらい自分たちの心と天気は、まったく無関係に存在しているものでもあると思うんです。極端に心理の説明だけではなく、どこか(人間の心とは)無関係に存在する光や影も捉えたいなと思っていました」と胸の内を明かした。
ロケーションや天気にもこだわりつつ、登場人物の感情、人間の触れ合いを映しだした本作は、16ミリフィルムで撮影が行われた。三宅監督はその意図について「『ケイコ 目を澄ませて』でやってみて、本当におもしろかった。贅沢をさせてもらった。また贅沢したいなと思った」と笑顔で回答。「またいつかやれたらなと思っていたんですが、今回の原作の世界観と、16ミリフィルムのタッチがマッチすると思ったので、チャレンジできました」とうれしい機会になったと語る。
残念ながら終了の時間となり、最後の質問は「主人公が自転車を漕ぐシーンが好き。『ケイコ 目を澄ませて』で、主人公がシャドウボクシングをしたりダンスをするシーンも好き。それは、主人公が“前進する”というシーンになると思う。そういったシーンを盛り込む意図を教えてください」というもの。三宅監督は「そもそも、そういった前進しようとする人物に惹かれて、題材として映画化したいと思っているところが大きいと思います」とうなずき、「今回で言えば、山添くんが自転車に乗って前へと漕いでいるところを『見たい』と思って撮っている。あのシーンは、天気にこだわった場面でもあって。映画のなかで流れている時間としては短く見えますが、4日くらいに分けて撮っています。それくらい力を込めて撮りたかった場面です」と撮影秘話も披露していた。
取材・文/成田おり枝