ジェシー・アイゼンバーグの映画監督としてのスタイルが確立『リアル・ペイン〜心の旅〜』日本初上映レビュー

コラム

ジェシー・アイゼンバーグの映画監督としてのスタイルが確立『リアル・ペイン〜心の旅〜』日本初上映レビュー

俳優としてキャリアをスタートさせ、映画監督として才能を開花させた人物は数えきれないほどいる。現在開催中の第37回東京国際映画祭で「ガラ・セレクション」部門に出品され日本初上映を迎えた『リアル・ペイン〜心の旅〜』(2025年1月31日公開)で長編監督第2作となったジェシー・アイゼンバーグもその一人だろう。

奔放に振る舞いながらもどこか影を帯びたベンジー(キーラン・カルキン)と、強迫性障害を抱えるデヴィッド(ジェシー・アイゼンバーグ)。長らく疎遠になっていた従兄弟同士の2人が空港で再会し、亡き祖母が体験した第二次世界大戦の史跡をめぐるツアーに参加するためポーランドへ渡る。そこでツアー参加者たちと心通わせながら各地をめぐり、2人はツアーを離れてかつて祖母が暮らしていた家を訪れる。

わずか90分で淡々と紡がれるこの物語は、シンプルな旅情映画としての薄い膜を隔てた向こう側に、いくつもの小さな棘を隠し持った作品だ。時折その棘の痛みを感じるけれど、決して膜を突き破ってくることはない。ユダヤ系の家に生まれ育ったアイゼンバーグ自身が経験した、自らのルーツに触れる旅路がインスピレーションの源となっているとのことで、そこにあるのは先人や土地の歴史への敬意という過去、その場所を訪れた自分自身という現在地、そしてなにより、それらを経験した先に待つ未来への希望に他ならないからだ。

【写真を見る】偏屈な天才を演じた『ソーシャル・ネットワーク』から14年、ジェシー・アイゼンバーグが監督としての才能を発揮
【写真を見る】偏屈な天才を演じた『ソーシャル・ネットワーク』から14年、ジェシー・アイゼンバーグが監督としての才能を発揮

アイゼンバーグは監督デビュー作となった前作『僕らの世界が交わるまで』(23)で、母親と思春期の一人息子のディスコミュニケーションを描写した。そこでは多くの会話が重ねられながらも、身近な者同士だからこそ起こりうる距離感の難しさがあらわにされていったのだが、本作ではしばらく会っていなかった従兄弟同士という適切な距離感が、ベンジーとデヴィッドの間にはあらかじめ用意されている。そして2人の距離感を程よく保っているのは、もちろん同じ祖母を持つという揺るぎないつながりである。

主人公たちの間にどうしてもただよってしまうぎこちない空気と、とめどない台詞の応酬は今作でも健在であり、それはまぎれもなくアイゼンバーグのスタイルといえよう。そういった意味では、偏屈な天才を演じて早口で周囲をまくし立てた『ソーシャル・ネットワーク』(10)で根付いた彼のイメージと合致する。台詞の多さというのは、時として映画の味わいを損ないかねないものだ。しかし本作においては説明的な方向にも主軸から逸れた方向にも走ることはなく、確固たる芯の部分を前へと進める動力として機能させる。サンダンス映画祭で脚本賞を獲得したというのも大いに納得できよう。

アイゼンバーグが経験した、自身のルーツに触れるたびがインスピレーションのもとに
アイゼンバーグが経験した、自身のルーツに触れるたびがインスピレーションのもとに[c]2024 Searchlight Pictures. All Rights Reserved

ここでふと思い浮かぶのは、アイゼンバーグと同様にユダヤ系のニューヨーカーであり、映画の動力としての台詞を飛び交わせることをなによりも得意とし、短めの尺の自作に積極的に出演する作り手であるウディ・アレンの存在だ。アイゼンバーグ自身もアレンの手掛けた作品に2作出演しており、『カフェ・ソサエティ』(16)では極めて明確に若き日のアレン自身が投影されたキャラクターを演じていた。

本作で見られるヨーロッパのロケーションであったり、ユダヤ系としてのアイデンティティをユーモアに落とし込もうとする点であったりも通じている。まさに『カフェ・ソサエティ』の時(ちょうどその頃アイゼンバーグの監督業進出が報じられていたタイミングだった)、作家性という面においてアイゼンバーグはアレンの後継者になりうる存在だと直感したが、どうやらその読みは間違っていなかったようだ。

『リアル・ペイン〜心の旅〜』は2025年1月31日(金)より公開
『リアル・ペイン〜心の旅〜』は2025年1月31日(金)より公開[c]2024 Searchlight Pictures. All Rights Reserved

さて、映画は空港を行き交う人たちを眺めるベンジーの表情――オープニングの反復をもって締められる。その表情には、ささやかな希望と行き場のない不安が入り混じっており、フランソワ・トリュフォーの『大人は判ってくれない』(59)のジャン=ピエール・レオーや『真夜中のカーボーイ』(69)のジョン・ヴォイトを想起せずにいられない。ベンジー自身はポーランドをめぐって元の場所へ立ち戻ったけれど、彼のなかにある“痛み”はごくわずかでも前へと進んでいると読み解くことができる。おそらくベンジーの本当の“心の旅”は、このラストから始まるのだろう。

文/久保田 和馬

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