• 映画TOP
  • 映画ニュース・読みもの
  • 現代社会の実相を暴く、アルフォンソ・キュアロン監督の”映画的”企て「ディスクレーマー 夏の沈黙」【宇野維正の「映画のことは監督に訊け」】
現代社会の実相を暴く、アルフォンソ・キュアロン監督の”映画的”企て「ディスクレーマー 夏の沈黙」【宇野維正の「映画のことは監督に訊け」】

現代社会の実相を暴く、アルフォンソ・キュアロン監督の”映画的”企て「ディスクレーマー 夏の沈黙」【宇野維正の「映画のことは監督に訊け」】

今回のアルフォンソ・キュアロン監督への取材は、2つの点で本連載「映画のことは監督に訊け」の特別編という位置付けとなる。1つは、東京国際映画祭の開催直前に急遽、プライベートの旅行も兼ねて日本での稼働が決定したこともあって、本連載の通常回に比べるとインタビューも撮影も短い時間しかもらえなかったこと。もう一つは、今回のキュアロンの新作「ディスクレーマー 夏の沈黙」が、長編映画ではなくApple TV+で配信中のテレビシリーズであること。本連載で配信プラットフォームの作品を取り上げるのはこれが初めてとなる。

Apple TV+「ディスクレーマー 夏の沈黙」は第82回ゴールデン・グローブ賞で3部門にノミネート
Apple TV+「ディスクレーマー 夏の沈黙」は第82回ゴールデン・グローブ賞で3部門にノミネート画像提供 Apple TV+

もっとも、いまやどんな名監督や名優であっても、その「最新作」が映画スタジオの作品ではなく配信プラットフォームの作品であるのが当たり前の時代。奇しくも、本テキストがアップされるタイミングでは、「メジャースタジオで作られて映画館で世界配給される作品」をキャリアの最期まで撮り続ける現役監督の筆頭であると誰もが信じていたクリント・イーストウッドの新作が、日本を含めほとんどの国で「配信送り」となったことが大きな話題となっている。2020年代序盤のコロナ禍とダブルストライキを経て、もはや映画界にはどこにも「聖域」はないということを、改めて多くの人に知らしめた。

前々作『ゼロ・グラビティ』(13)と前作『ROMA/ローマ』(18)で世界中のアワードを席巻してきたキュアロンも、もちろんその例外ではない。「ディスクレーマー 夏の沈黙」に例外的な要素があるとしたら、それはキュアロンが効率を度外視して、テレビシリーズのフォーマットで「映画と同じ方法論」をとことん追求しているところだ。

いずれも現在の映画界を代表する撮影監督であるエマニュエル・ルベツキとブリュノ・デルボネルを起用し、前者がケイト・ブランシェット演じる主人公のジャーナリストが住む世界を、後者がケヴィン・クライン演じる主人公と対立する元高校教師が住む世界を撮影するという、極めて実験的な手法が取り入れられている「ディスクレーマー 夏の沈黙」。かつて『トゥモロー・ワールド』(06)で荒廃した「2027年の世界」を予見してみせたキュアロンは、本作で、決して交わることがない異なるナラティブが進行し、それがあらゆるところで取り返しのつかない結果をもたらしている「現代社会の実相」を描き出すことに成功している。

「私が望んでいるのは、テレビシリーズがもっと映画的になることです」(キュアロン)

【画像を見る】来日したアルフォンソ・キュアロン監督を直撃
【画像を見る】来日したアルフォンソ・キュアロン監督を直撃画像提供 Apple TV+

——全7話で語られる「ディスクレーマー 夏の沈黙」にはエピソードタイトルがなく、すべてチャプター形式で7時間の映画のように作られた作品でした。あなたがすべてのエピソードの監督をしているのも、この作品を一本の長い映画と捉えていたからじゃないかと思ったのですが。

アルフォンソ・キュアロン(以下、キュアロン)「私はテレビシリーズの制作についてそこまで熟知していないので、最初から映画と同じ方法でやりたいとAppleに伝えました。それで問題ないということで、『ディスクレーマー 夏の沈黙』では映画と同じ方法論を採用しました。撮影中もなにか特別なことをしたわけではなく、リリースが週ごとに分けられることはわかっていましたが、それ以外はいつもとすべて同じでした。ただ、通常のテレビシリーズと比べると撮影期間は非常に長くかかりましたね。一般的にテレビシリーズでは複数の監督が各エピソードを担当することで映画よりも早く撮影が進みますが、この作品では私一人が監督することですべてを緻密に進めていきました。すべてのディテールが後から重要になってくるので、慎重に取り組む必要があったのです」

ドキュンタリー番組のディレクター、脚本家のキャリアを持つルネ・ナイトの原作
ドキュンタリー番組のディレクター、脚本家のキャリアを持つルネ・ナイトの原作画像提供 Apple TV+

——一方で、最終話、つまり最後のチャプターですべてがひっくり返るというストーリーの形式はテレビシリーズの形式を巧く使った作品だとも思ったのですが。

キュアロン「いや、最後のどんでん返しがテレビシリーズ的だという意見には賛成できません。なぜなら、それはサイレント映画の初期から存在しているもので、(アルフレッド・)ヒッチコックも最後に『彼が悪役だったのか!』となる作品を作ってきました。サスペンスやスリラーのジャンルでは、どんでん返しは自然なものです。私もその方法論に則っただけです」

——では、あなたが考えるテレビシリーズにあって映画にはないもの、逆に、映画にあってテレビシリーズにないものがあるとしたら、それぞれなんでしょうか?

キュアロン「テレビはショーランナー、つまりストーリーの作り手が中心となるメディアで、そのストーリーを伝えることに重点が置かれています。そのため、途中で目を逸らしたり、仕事のメールを打ちながらでも追えるように作られるのが一般的です。一方で、映画では五感すべてを使って観客が没入することが求められます。つまり、テレビとシネマの定義は異なりますが、ごく稀に交差することもあります。例えば1990年の時点でデヴィッド・リンチが『ツイン・ピークス』で成し遂げたことがそうです。『ツイン・ピークス』は、メールを打ちながら見られる作品ではなく、すべての感覚を使って画面とサウンドに集中する必要があります」

——これまでの多くの作品同様、『ディスクレーマー 夏の沈黙』でもあなたはすべてのエピソードの脚本も手掛けています。脚本を書かない監督にとっては、このようにテレビシリーズの全体をコントロールするのは難しいのかもしれませんね。

キュアロン「いや、そんなことないと思いますよ。そもそも、多くの偉大な監督たちは自分で脚本を書いてません。マーティン・スコセッシは90年代の『グッドフェローズ』や『カジノ』以来、自分で脚本を書いてませんし、スティーヴン・スピルバーグにいたっては、これまでのほとんどの作品で脚本は書いてません」

他人の不品行を暴くことを生業としてきたジャーナリストに、ある小説が届くところから物語が動きだすApple TV+「ディスクレーマー 夏の沈黙」
他人の不品行を暴くことを生業としてきたジャーナリストに、ある小説が届くところから物語が動きだすApple TV+「ディスクレーマー 夏の沈黙」画像提供 Apple TV+

——でも、スコセッシやスピルバーグはテレビシリーズの監督はしないですよね?

キュアロン「監督にはそれぞれのスタイルがあって、それはテレビシリーズにおいても同様だというのが自分の考えです。すべてのエピソードの監督をして作品全体をコントロールしたい監督もいれば、最初のエピソードだけ監督すればいいとする監督もいます。その際、自分で脚本を書いているかどうかと言うのは、そこまで重要ではないと思います。私が望んでいるのは、テレビシリーズがもっと映画的になることです。現在、テレビシリーズにはすばらしい脚本の作品がたくさんありますが、そこによりシネマティックな表現が加われば、さらにすばらしい表現フォーマットになっていくはずです」

——それにしても、この10年、つまり2014年に『ゼロ・グラビティ』でオスカーの監督賞を受賞して以来、あなたが長編映画を『ROMA/ローマ』1作しか撮ってないということには改めて驚かされます。もっとも、オスカーを受賞したにもかかわらず、その後にテレビシリーズで仕事をするようになった監督はあなただけではありません。

メキシコシティで育ったキュアロン監督にとって半自伝的な作品『ROMA/ローマ』
メキシコシティで育ったキュアロン監督にとって半自伝的な作品『ROMA/ローマ』[c]Everett Collection/AFLO

キュアロン「言われてみればそうなのですが、私は自分の仕事をしてきただけです。『ゼロ・グラビティ』を撮った後、『ROMA/ローマ』を制作するために多くの労力をかけて、今回が初めてのテレビシリーズになったわけですが、次の作品は映画になる可能性が高いです。今回テレビシリーズをやってみてわかったのは、自分のやり方でテレビシリーズを制作するのはとても時間がかかるということです。なので、いまは少しの間、休息が必要ですね(笑)」


宇野維正の「映画のことは監督に訊け」
作品情報へ