現代社会の実相を暴く、アルフォンソ・キュアロン監督の”映画的”企て「ディスクレーマー 夏の沈黙」【宇野維正の「映画のことは監督に訊け」】
「テレビシリーズのアワードは種類においてもそれぞれの部門数においても足りてないように思います」(宇野)
——私はゴールデン・グローブ賞の国際投票者なのですが、映画のアワードと比べて、作品の質の高さや作品の数の多さを考えると明らかにテレビシリーズのアワードは種類においてもそれぞれの部門数においても足りてないように思います。
キュアロン「それは同意見です。監督や脚本だけでなく、映画のように撮影や音楽などの様々なカテゴリでちゃんと評価されるべきだと思います。エミー賞は改善されつつありますが、ゴールデングローブ賞もそのような幅を取り入れるべきだと思います。もはや、映画とテレビシリーズは質的にもクロスオーバーしているわけですから」
——最近の作品で、あなたが特に気に入っているテレビシリーズは?
キュアロン「特にすばらしかったのはスティーヴン・ザイリアンの『リプリー』、それとベン・スティラーの『セヴェランス』ですね」
——「ディスクレーマー 夏の沈黙」のケイト・ブランシェットについて語る際に、個人的に避けて通れないのはトッド・フィールドの『TAR/ター』との対比です。もちろん2人の主人公はまったく違う、「ディスクレーマー 夏の沈黙」の主人公は我々にも身に覚えがあると感じる部分の多い、より身近な人物ではありますが、パワハラ的行為をスマートフォンのカメラで撮られて、それがネットに拡散されるという非常に近いシーンもあります。ケイト・ブランシェットは短い期間に連続してネットによってその評価が引き摺り下ろされる人物を演じたことになるわけですが、そのことについて彼女となにか意見を交わしましたか?
キュアロン「いいえ、その点について言えば、私は『TAR/ター』を 『ディスクレーマー 夏の沈黙』の制作が終わるまで観ていませんでした。もし途中で観ていたら、そのすばらしさに圧倒されて、『こんなにすばらしいものを自分が作れるだろうか』と感じていたと思います。彼女の『TAR/ター』での演技は本当に驚くべきものでした。ケイトの本質には、人々の認識に挑戦することが含まれています。彼女は認識を揺さぶり、キャラクターの複雑さや多層性を表現するのが得意です。『この人は善人/悪人』といった単純な見方ができない、人間の複雑さを体現したキャラクターを深く探求することを本当に楽しんでいるんです。彼女のこれまでの作品との比較についてはあまり話し合いませんでしたが、脚本を渡した段階から彼女は非常に深く関与してくれました。脚本のリライトにも積極的に参加し、新しいドラフトができるたびに彼女と密に連携しました。このプロセスは非常に長いもので、何度も書き直しを行いながら新たな発見を続けました。
彼女はクリエイティブにおいて非常に貪欲で、決して休むことがありません。キャスティングから脚本、編集に至るまで、この作品のあらゆる側面に関わってくれました。本当に驚くべき創造力を持つパートナーであり、すばらしい力を発揮してくれる存在でした」
「ソーシャルメディアから作品のほんの一部分の情報を取り出すのではなく、作品全体から結論を導き出してほしい」(キュアロン)
——普段、自分はあまりネタバレについて神経質にならずに映画について記事を書くのですが、「ディスクレーマー 夏の沈黙」に関しては、ストーリーの構造や結末について話すのを少し躊躇してしまいます。インタビューでどこまで訊いていいものか(苦笑)。
キュアロン「それは記事が出るタイミング次第です。この取材をしているのはまだ最終エピソードが配信される前ですが、そのタイミングで記事が出るならば、内容については明かさずに会話を進めることが求められるでしょう。配信後であれば、私はできるだけ正直な会話を望みます。私はあらゆる検閲に反対ですから。一般論としても、映画作家はジャーナリストを信頼したほうがいいと思っています。私の経験上、多くのジャーナリストは誠実であることが多かったので。問題があるとしたら、近年増えてきた、いわゆるオンライン・ジャーナリストと呼ばれる人たちです。彼らの中には、ただフォロワーが増えて、記事がクリックされればいいと思っている人がいて、簡単な話題だけを求めます。私はそれを非倫理的だと感じます。というのも、彼らのやることは、他のジャーナリストも含めた多くの人の仕事に便乗しているだけだからです。最近は、誰もが先を争って、賢く見せようとしたり、他人より一歩先んじようとしたりしているように思えます。私は自分の作品を観てもらって、それぞれが自分の解釈を楽しんでほしいと思っています。ソーシャルメディアから作品のほんの一部分の情報を取り出すのではなく、作品全体から結論を導き出してほしいです」
―—せっかく正直な会話を望んでいただけたのに、もう取材時間は終わりのようです(苦笑)。最後に一つだけ。あと2年ほどで、『トゥモロー・ワールド』の時代設定だった2027年になります。もちろんあの作品には原作もあったわけですが、あの時、あなたは約20年後の未来の世界を映画にしました。『トゥモロー・ワールド』は未来予測の正確さを追求した作品ではなかったと思いますが、いま世界を見渡してみると、あの作品で描かれていた世界にかなり近づいていることに気付かされます。
キュアロン「そうですね。『トゥモロー・ワールド』のような状況が現実味を帯びてきていると言われるのはこれが初めてではありません。でも、実際には、あの当時からあそこで描かれていた世界は現実そのものでした。ただ、それがアメリカやヨーロッパの中心にある自分の国では起きてはいなかったので、人々は無視していただけです。そういう意味では、気候変動と似てますね。『30年後に水位が上がる』と言われても、多くの人はそれが自分の目の前に迫るまで気にしないんです」
取材・文/宇野維正