松本潤と有村架純が語る、“救われる愛”と“救われない愛”
2006年版「この恋愛小説がすごい!」の1位に輝いた島本理生の同名小説を、嵐の松本潤と有村架純を迎えて映画化した『ナラタージュ』が、10月7日(土)より公開される。『世界の中心で、愛をさけぶ』(04)の行定勲監督がメガホンをとった本作で、純度の高い大人のラブストーリーを紡ぎ上げた松本と有村にインタビュー。
高校教師と生徒として出会った葉山貴司(松本潤)と工藤泉(有村架純)。心に十字架を背負って生きていた葉山は、孤独に苛まれていた泉と交流していく。泉は葉山を心から慕いつつ、その思いを胸に秘めたまま卒業。大学生となった泉は、ある日葉山に呼び出され、彼と再会したことで、溢れる思いを抑え切れなくなっていく。
松本は、連ドラ「失恋ショコラティエ」(14)以来、3年ぶりの共演となった有村を頼もしく感じたよう。「ドラマでの架純ちゃんは妹役で、共演者の中でも若い方だったけど、今回は生徒役の子たちの中にいると、ちょっとお姉さんという感じでした。彼女はその後、すごい数の現場を経験されたと思いますが、たくましくなった気がします」。
本作の松本は、持ち前のスター・オーラを封印し、静謐な演技で新境地を開拓した。有村は松本について「私は撮影前に、松本さんの映画のビジュアルを見ただけで、お兄ちゃんから葉山先生に切り替えられました。クランクインしてからは、本当に葉山先生にしか見えなかったです」と感心する。
松本は、有村の佇まいに感化されたそうだ。「架純ちゃんはずっと富山に行きっぱなしで撮影をしていたけど、僕は東京と行ったり来たりでした。現場に行くと、常に凛とした泉を背負った架純ちゃんがいてくれたので、僕は自然と葉山になれました。すごく架純ちゃんに引っ張っていってもらった感じがします」と有村に感謝した。
有村は、松本の気配りやプロ意識の高さに改めて感動したと言う。「松本さんは、現場でみんなが気持ち良くやれるように、いろんなことを瞬時に判断してくださる。私は演じる時、カメラの位置や照明の場所など、全部を把握してお芝居することなんてできないけど、松本さんはスタッフさんまで幸せになる形を取ってくださるんです」。
妻のいる葉山と泉の関係性は、単なる“禁断の愛”というくくりでは収まりきらない。あるシーンでは、ふたりの魂が共鳴し合った瞬間がしっかりとスクリーンに映し出されている。
松本は言う。「当時、どうしようもない状況にいたふたりは、自分が救われたいという気持ちを強く持っていた。だからこそ、相手もそうだというところに強いシンパシーを持ち、それが互いに惹かれ合うきっかけになったと思う。葉山は元々正義感の強い教師だから、生徒が大変な思いをしていたら、自分の状況はさておき、何とかしてあげたいと思うのではないかと。でも、そこで泉に対し、他の生徒とは全く違う感覚が芽生えてしまった。倫理観が働けば、そこで踏み出すことはナシなんだろうけど、理屈でどうこう言えない話だと思いながら演じていました」。
有村は、泉の行動を理解するのにとても時間がかかったと述懐する。「原作も読ませていただきましたが、台本を読んで泉の気持ちを汲み取ることは本当に大変でした。でも、正しいとか正しくないとかそういう話ではないのかなと。少なからず、泉に一番寄り添えるのは私しかいないと思い、彼女のことを理解してあげたいと思って演じました」。
泉は坂口健太郎演じる同級生・小野怜二と卒業後に出会い、付き合うようになる。有村は小野の存在をこう受け止めた。「泉は小野くんといた方が等身大の自分でいられるし、楽なんですが、小野くんでは泉を救えないんです。泉にとって、高校時代に葉山先生から声をかけてもらったことが、どれだけ大きな出来事だったか。言わば命の恩人というか、それほど葉山先生の存在が大きかったとしか言いようがないです」。
松本も「難しいよね」と有村を見ながらうなずく。「もしも、そのタイミングで小野くんと出会っていたら、小野くんが救ってくれたのかもしれない。でも、当時の泉には葉山先生しかいなかったし、葉山先生にも泉しかいなかった。ふたりにとっては、必然的な縁みたいなものがあったのかなとも思っています」。
“ナラタージュ”とはナレーションとモンタージュを掛け合わせた造語で、映画などで語りや回想により過去を再現していく手法を指す。泉と共に振り返る、一生に一度のかけがえのない恋を、あなたはどう受け止めるだろうか。観終わった後、改めて愛について誰かと語りたくなる映画だ。【取材・文/山崎伸子】