「やがて訪れる死を前にして、人はどう生きるか」死生観を深く考える『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』ティルダ・スウィントンにインタビュー

インタビュー

「やがて訪れる死を前にして、人はどう生きるか」死生観を深く考える『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』ティルダ・スウィントンにインタビュー

病に侵され安楽死を望む女性マーサと、彼女に寄り添う親友イングリッドの最期の日々が、ペドロ・アルモドバル監督独特のカラフルなカラーパレットを用いて描かれる『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』(公開中)。アルモドバル監督にとって初の全編英語の短編映画『ヒューマン・ボイス』(20)に続いてのコラボとなるティルダ・スウィントンがマーサ役を引き受け、容赦なくクローズアップで迫るアルモドバルの演出に耐え抜いている。そもそも「安楽死」というテーマに対して、ティルダはどんな考えを持っているのだろうか。お馴染みのブロンドのショートヘアにシャネルのジャンプスーツでホテルの部屋に現れた彼女に、とりあえずそのあたりから質問してみた。
※本記事は、ストーリーの核心に触れる記述を含みます。

「誰かを看取ると言うのは愛の行為にほかなりません」

 【写真を見る】現役最高峰のファッショニスタ。ティルダ・スウィントンが、映画とハイブランドの関係性について言及
【写真を見る】現役最高峰のファッショニスタ。ティルダ・スウィントンが、映画とハイブランドの関係性について言及[c]2024 Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved. [c]El Deseo. Photo by Iglesias Más. 2025

「まず、これは死についての映画ではないと言わせてください。やがて訪れる死を前にして人はどう生きるかという映画なのです。ペドロがこんな機会を私に与えてくれたことに感謝しています。私は特にこの15年間で、何度も今回の映画で言うと看取る側、つまりイングリッドの立場を経験しました。私にとって最初のマーサは、デレク・ジャーマンだったことに間違いはないです。誰かを看取ると言うのは愛の行為にほかなりません。目を背けることなく側に必ずいること、なにも言わずにただ耳を傾けること、そして、すべてを目撃するということ。今回、似たようなシナリオをマーサの立場で演じることができたのは、イングリッド側の価値観というものを自分の目で見て、知っていたからだと思います」。

 安楽死を望むマーサは、自分の最期を見届けてほしいと友人のイングリッドに頼む
安楽死を望むマーサは、自分の最期を見届けてほしいと友人のイングリッドに頼む[c]2024 Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved. [c]El Deseo. Photo by Iglesias Más. 2025

イングリッドを演じるジュリアン・ムーアとのセッションは楽しめたのだろうか。「ジュリー(ジュリアン)と私は、まるで沈没した舟の木片に一緒にしがみついている最後の2人のような状況でした。なにしろペドロは撮影のスピードが早い人で、もうワンテイク撮ってほしい、もっと遊びたいと思っても聞き入れてくれません。だから、私たちはお互いに支え合うしかなかったのです。いま思うと、ジュリー以外の誰かがイングリッドを演じるなんて考えられません」。

左から、 ジュリアン・ムーア、ペドロ・アルモドバル監督、ティルダ・スウィントン
左から、 ジュリアン・ムーア、ペドロ・アルモドバル監督、ティルダ・スウィントン[c]2024 Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved. [c]El Deseo. Photo by Iglesias Más. 2025

それにしても、マーサは死が近づくにつれてどんどん痩せていくけれど、同時に美しくもなっていく。そして、最期はレモンイエローのスーツに真紅のリップで死に備える。その一瞬のカラフルなことと言ったらないのだが。「そこがペドロのポエティックかつロマンチックなところなのです。誰かが自分の機能を失い始める時、それがどれだけ辛いものなのかは知っているつもりです。読書が大好きだった人がもう本を読めなくなったり、音楽が大好きだったのに音が聴こえなくなってしまったり、味がなくなって物が食べられなくなったり。劇中でマーサも”自分自身が本当に減ってしまった”というようなセリフを口にします。それってとても辛いことですよね。私は、マーサが辿るプロセスを”dismounting(降板)”と呼んでいるのですが、マーサは黄色いスーツで我が身を包むだけの強さが自分の中に残っている段階で降板するわけです。それ以上待ってしまったならば、その強さがなくなってしまうかもしれない。本当にギリギリの状況なのです。美しい1日を楽しむ強さすら失おうとするマーサの姿を色彩で表現しているのは、ペドロからのジェスチャーだと思います。多くの人はそんなプロセスを辿ることなく、痛みによってどんどん自分自身が小さくなっていってしまう。いち観客として、ペドロがこのようなファンタジーを与えてくれたことに感謝します」。