『フロントライン』監督&プロデューサーが忘れないでほしいと願う、未知のウイルスに立ち向かった日々、ささやかな日常をすばらしいと思える気持ち
「割とガッツリ忘れて元の生活に戻ったほうがハッピー!というベクトルの人類が多くなっていくのはどうなんだろうと」(関根)
——関根監督はドキュメンタリー映画も作られていますが、事実を基にした物語をドキュメンタリーでというアイデアはなかったのでしょうか?
増本「この物語はなるべく多くの世代や人々に観てもらうことに価値があるんじゃないかと思いました。誤解を恐れずに言うなら、普段そういったことに興味を持たない人にこそ観てもらいたいというか…。ドキュメンタリーはもともと問題意識が高い人々がメインターゲットになってしまい、新たな層への問題提起にはほとんど効果がない、というジレンマを抱えています。『コード・ブルー』やこの作品をつくるきっかけになった『THE DAYS』もそうですが、これから日本を背負っていく次世代の人たちに観てもらうことがすごく大事だと考えていて。小栗くんや松坂くん、池松くん、窪塚くんといった、若い人たちにも非常に訴求力のある人たちの表現力を借りて、より多くの人々に興味を持ってもらいたいという狙いで、ドキュメンタリーではなくエンタテインメントの映画にしました。『勉強になりそう』という視聴動機ももちろんいいのですが、もっと気軽に『推しの俳優が出演しているから』とか『とにかくおもしろそうだから』といったきっかけでも全然よくて、そういった視聴者層の広がりこそがエンタテインメントの強みなのではないでしょうか」
関根「僕はドキュメンタリーも作っていますが、テーマに関心のある人しか観てもらえないという現実は正直ありまして…」
増本「規模の大きなドキュメンタリー企画を通すこともなかなかハードルが高いですよね」
関根「おっしゃるとおりです。テレビの特集で流れていれば観るけれど、映画館に足を運ぶとなるとなかなか難しいというのが現実です。ドキュメンタリーは興味のあるテーマじゃないとなかなか振り向いてもらえない。そういう意味で今回のテーマは、自分たち全員が関わったことだからみんなで振り返ってみるべき出来事だと思いました。そうじゃないと忘れてしまうから。だからこそ、みんなが観てくれるものを作ることが大事だと思ったし、ドキュメンタリーで撮ったほうがという想いにはならなかったです」
——実際に船内に乗っていた医師との会話が企画の発端とのこと。企画も含めて制作はどのタイミングで動きだしたのでしょうか。
増本「マスクを買っておかなきゃ、みたいな雰囲気になり始めた2020年3月ごろ。当時、僕は『THE DAYS』を撮影中で、11日ほどの撮影を終えたところでした。あと1、2か月もすれば騒ぎは終わるだろうみたいな空気だった時期です。でも、4月に入って1回目の緊急事態宣言が出て、撮影は一旦止めました。そのあと、どうにか撮影を再開できないかと悩んでいる時期に、感染症の専門家に対策を訊いてみよう、と考えました。詳しい先生を探してアドバイザーをお願いしたら、その先生がたまたまダイヤモンド・プリンセス号で対応にあたった方だったんです。基本的には食事は少人数で黙ったままで、というような撮影時の感染対策を教えていただくことが主目的でしたが、余談で船内ってどんな感じだったんですか?と尋ねてみたら、僕が当時情報番組から得ていた情報とはまったく違っていて。自分としては理解したつもりだったけれど、知らないことばかり。これはもっと知る必要があると強く思いました。その先生が乗船したのは数日とのことでしたので、もっと長く乗っていた先生がいるよと紹介してもらうことから始まりました」
——映画を観て「知っていた話と違う」と思ったのは、当時私たちが得ていた情報とのズレということなのですね。
増本「そうですね。僕たちに見えていないところで、これだけたくさんの人たちが頑張っていたという気づきがありました。もちろん立ち向かう相手は未知のウイルスなので、当然間違いもしましたし、そういったことも隠さず教えてくださいました。ただ、そのなかでベストを尽くしていくのは、そのあと僕らがやっているコロナへのアプローチと同じこと。正解がわからないことだから、あとで振り返ると間違えたかもしれないということもいっぱいある。これはいま僕たちがやっているコロナ禍の生活に通ずるもので、ひょっとしたら映画になると途中から思い始めたという経緯です」
——2020年に第一波が訪れてから5年ほどの間に企画して撮影して公開まで持っていく。コロナが現実に起きているなかで越えるべきハードルがたくさんあったと想像します。実際はいかがでしたか。
増本「決して終わったわけではない、ようやく社会生活が少し戻ってきて、学校が再開して世の中が動き始めたころに走り出した企画です。人によっては生々しすぎるだろうし、つらい思い出があって観ることが厳しいという人がいることは理解しています。その一方で、あんなに大変だったのにもうちょっと忘れかけている人もいたりする。その温度差をすごく感じました。そんななかで思ったのは、観ることがつらい人への配慮もしつつ、これから相対的に増えていくであろう忘れていく人たちへ届けること。わからなかったからこそ、いま振り返ると間違えてしまったことを忘れないうちに、ささやかな日常をすばらしいと思える気持ちが日々薄れていることが実感としてあるからこそ、自分たちとして総括しておいたほうがいい題材という結論に達しました。迷いながら議論しつつ走らせていましたね」
関根「僕はどちらかというと忘れていくことのほうが危険だと思っていました。脚本が出来上がって実際に映画が動きだしたのは2023年の終わり。その時点ですでにたくさんの人たちがガッツリと社会生活に戻って、まるで何事もなかったように過ごしている人も結構多いというのは肌で感じていたことなので」
増本「Go To キャンペーンとかも始まったりして必要以上に終わった感を演出しているように感じました」
関根「亡くなった方もたくさんいたし、世界に目を向ければ強烈な差別なども生まれたりしていて。教訓として学ばなきゃいけないことは相当量あるはずだけど、割とガッツリ忘れて元の生活に戻ったほうがハッピー!というベクトルの人類が多くなっていくのはどうなんだろうと個人的に思いました。世界中の人が一緒に共有できるような教訓みたいなことにできたはずなのに忘れたほうがハッピーというのは、言い方は難しいけれど、ある意味もったいないなと。つらい経験をしてまだ観るのは難しい人に無理して観てほしいとは思わないけれど、振り返ることができる状況であるならば、観てほしいと思っています。議論のテーブルを作るみたいなことが映画作りの大事な役割とも考えているので」