芸術でも記録でもない、人間の生き様を追ったヒューマンドラマ『リオデジャネイロ2016オリンピック公式フィルム:休戦の日々』[最速レビュー!東京国際映画祭]
2020年に開催される東京オリンピックまで1000日を切り、日本でもオリンピック熱が加速している。かつて1964年に行われ、市川崑監督が記録映画を作り上げた『東京オリンピック』は「芸術なのか?記録なのか?」という議論を巻き起こした。
オリンピックの記録映画は、レニ・リーフェンシュタールの『民族の祭典』『美の祭典』や、クロード・ルルーシュ監督の『白い恋人たち』などが有名ではあるが、意外にも戦後に開催されたほとんどの大会で制作されており(冬季は『白い恋人たち』以降だが)、そのテイストはそれぞれに異なっている。
たとえばグルノーブル冬季オリンピックを映し出した前述の『白い恋人たち』は、開催地の人々の姿を情緒的に映し出す、芸術性の高い作品であった。また、複数の監督が参加したミュンヘンオリンピックの『時よ止まれ、君は美しい/ミュンヘンの17日』(73)は、競技という映画らしい躍動にフォーカスが当てられていた。
近年は、記録映像としての要素が高まっていたが、今回の『休戦の日々』は『フランシスコの2人の息子』(05)で知られる現代ブラジル映画界のヒットメイカーのひとりブレノ・シルヴェイラが監督。ソウルオリンピックをイム・グォンテクが、バルセロナオリンピックをカルロス・サウラが監督したように、その国の映画界からの抜擢というのは、単なる記録映像に止まらない、作品としての強度を持ち合わせることになるのだ。
タイムラプスを駆使し、開催決定から7年間の準備の段階をあっという間に進める冒頭。いくつかの章立てされた構成では、リオという街の魅力を伝えるプロローグにはじまり、紆余曲折の準備段階が辿られる。そこには、経済や治安の悪化、ジルマ・ルセフ大統領の弾劾裁判に、過去最悪と言われた準備状況。それに追い打ちをかけるようにジカ熱の発生。そして、ISISの存在によって脅かされる世界的な不安。それでも、自国の誇りをかけて、必死でオリンピックを成功に導こうとする人々の姿が描き出されていくのだ。
いよいよ始まる“休戦の日々”。もちろん競技の様子を公式のアーカイブ映像で映し出すということは当たり前なのだが、手元や表情などに迫ったショットが目を引く。それ以上に注目したいことは、本作は競技の光景よりも、出場したアスリートひとりひとりにフォーカスを当てていくことだ。
地上最速の男・ボルトの存在に励まされるファビアナ・モラエス、新設された難民選手団の一員としてオリンピックに挑むポポレ・ミセンガ、リオのスラム街で生まれ育ち、人生をかけた勝負に挑んだラファエラ・シルバ。そして初めて自国に金メダルをもたらした様々な国の選手たちの活躍や、フェルプスやボルトなど王者たちの姿。そして、敗れははしたものの、世界中を虜にしたアスリートの姿。
なるほど、これはリオという街、ブラジルという国の持つエンタテインメント性を反映させながら「芸術」でも「記録」でもない、ヒューマンドラマというより人々に身近な、娯楽性の高い作品に仕上げているのだ。それを象徴させるように、クライマックスに選ばれるのは陸上女子5000mでのニッキー・ハンブリンとアビー・ダゴスティノのエピソードに、ブラジルの国民的スポーツ・サッカーでのドイツへの雪辱。
「いかなる差別を伴わず、友情、連帯、フェアプレーの精神を持って相互に理解し合う」というオリンピック精神が、作品のテーマとして置かれる。それはまさに、国内・国外ともに不安な情勢の中で行われたこのリオ五輪だからこそ。そして劇中では、観光客を迎えるために英語を覚えようとしているタクシー運転手が笑顔で「勝ったら喜んで、負けたら気にしない」と語る。それもまた、スポーツをひとつの娯楽として楽しむ、オリンピック精神なのだ。
もっとも、開会式が行われたエスタジオ・ド・マラカナンは、スタジアム管理が行き届いておらず、閉会後半年で荒廃した様子だと報じられている。劇中では、そういったオリンピック後のネガティブな部分が描かれないが、それを描き、どう再生していくのかということを描くことも、ひとつのフェアプレーなのではないだろうか。
できることなら、このような国際的なイベントを通して、発展途上国が治安や経済などの問題を超えて繁栄していき、オリンピックというものが4年に一度、ないしは2年に一度の“休戦の日々”ではなくなり、確たる“平和の祭典”となることが最も望ましい。はたして3年後の東京ではどのようなオリンピックが行われ、その後どのような物語が作られていくのだろうか。【文/久保田和馬】