司葉子が黒澤明&三船敏郎の裏話を語る!85年の歴史に幕を下ろす「さよなら日劇ラストショウ」がスタート!

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司葉子が黒澤明&三船敏郎の裏話を語る!85年の歴史に幕を下ろす「さよなら日劇ラストショウ」がスタート!

1933年にオープンして以降85年間に渡り、映画興行の発信地として多くの映画ファンから愛されてきた東京・有楽町の映画館「TOHOシネマズ日劇」が、2月4日(日)をもって閉館。そのフィナーレを飾る上映イベント「さよなら日劇ラストショウ」の初日に黒澤明監督の『用心棒』が上映され、司葉子がゲストとして登壇。世界的巨匠・黒澤明や大俳優・三船敏郎らとの思い出を語った。

司は、東宝の専属女優として1954年に池部良主演の『君死に給うことなかれ』でデビュー。その後も黒澤をはじめ成瀬巳喜男監督や岡本喜八監督、小津安二郎監督ら日本映画を築き上げてきた監督たちの作品に相次いで出演。映画以外にもドラマや舞台、テレビ番組で司会を務めるなど幅広く活躍を見せた彼女は、83歳を迎えた現在でも女優として活動。先日日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞した浜辺美波が憧れの女優として彼女の名前を挙げるなど、大きな影響を与え続けている。

会場を埋め尽くした往年の映画ファンからあたたかい拍手で迎えられた司は「トップバッターに選んでいただいて喜んでおりますが、私が一番古くなったのかな」と、彼女が多くの映画で見せてきたような愛くるしい笑みを浮かべ、日劇の歴史が85年ということに「ほぼ…(同い年)です」と濁して会場の笑いを誘った。

今回上映された『用心棒』は、1961年4月25日に公開された黒澤の代表作の一本。縄張り争いが繰り広げられる宿場町にやってきた浪人・三十郎が、用心棒として雇われながら同士討ちを画策する、西部劇の要素を取り込んだ痛快な時代劇。三船がヴェネチア国際映画祭で日本人として初めて男優賞を受賞したほか、海外でもリメイクやオマージュ作品が制作されている。

「ちょっとしか出ていないので、本当なら『乱れ雲』(2月2日に上映される)で来るべきだったと思うんですが…」と笑った司。「俳優なら誰でも黒澤作品に出たいと思うもの。でも撮影所としては売り出さなきゃいけないのに、拘束される期間が長い黒澤作品なので『ダメなのよ葉子ちゃん、わかった?』と説得されて諦めていた」とデビューして間もない頃を振り返った司。

それから2年近くが経って『用心棒』に出演した彼女は、自身の出演シーンを「ちょっと出て、殴られて、おしまい」と表現。しかしながら、そんなわずかな出演でも「殴ってくださった山田五十鈴さん怖かったですね。演技ってこういうものだと、そのとき思いました」と、女優としてのひとつの転機になったことを語った。そして、後に司がブルーリボン賞主演女優賞を受賞した中村登監督の『紀ノ川』(66)で、その時の山田の演技を参考にしたことを明かすと、会場中から割れんばかりの拍手が贈られた。

そして彼女はテスト撮影に全力投球で臨んだ際に、藤原釜足から「本気でやったってあと10回くらいやるからね」と囁かれたことや、三船敏郎が撮影を終えた後に成城にあった黒澤の自宅の前で「ばかやろー!」と鬼のような形相で叫ぶことが何度もあったと、黒澤作品の常連俳優たちとのエピソードも語った。

黒澤についても「(黒澤)先生はすごく優しい方。だけど本番になったら鬼みたいで」と笑った。そして結局『用心棒』一度限りの出演とはなったものの「『隠し砦の三悪人』で上原美佐さんが演じた役を募集する際に監督が『葉子ちゃんの足首のような女を選んでください』と言っていたとスタッフさんから聞いて、本当かなあと思ったけれど嬉しかった」とにこやかに振り返った。

司にとって日劇は「修学旅行で初めて見て感動した場所。映画の世界に入ってから山口淑子(李香蘭)さんが公演なさっていたり、私が預けられていた笠置シヅ子さんの“ブギウギ”が流行っていたという印象」と明かし「一度だけお芝居で舞台に立ったのですが全然覚えてないんですけどね」と笑った。

そして3月に新しくオープンするTOHOシネマズ日比谷について「まるで東宝の映画村ができるみたいですね」と今後も続いていく映画の灯に期待を寄せた。

取材・文/久保田和馬

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