トラウマ級の生々しさ…集団レイプされた15歳の現実を“主観”で捉えた衝撃作は、どう撮影された?
まるで自分の身に起きているかのような没入感を呼ぶ、“一人称視点”の映画はこれまでにもあったが、公開中の『私は絶対許さない』も、“トラウマ級の主観映像”が話題となっている。その撮影の裏側に迫る。
15歳で集団レイプに遭った少女が、やがて風俗嬢になり、現在は昼は看護師、夜はSM嬢として生きる雪村葉子の衝撃的な手記を映画化した本作。15歳の大晦日、駅で母親の迎えを待っていた葉子は、突如現れた男たちに暴行され、車に乗せられる。その時点から映像は一人称視点となり、殴られれば映像はぼやけたりと、葉子の悲痛な体験を身をもって感じるようになる。
ただ、一人称視点になることで、暴行シーンの凄惨さは(もう一人の自分が見ているシーンこそあれ)多少抑えられている。むしろ辛く感じられるのは、殴られアザを作った顔で必死に帰宅した葉子を心配することもなく「いまごろぬけぬけとよく帰ってこれたな」と罵る母親や、「この不良娘が!」と拳を振り下ろす父親、「殴られないとわからないのか」と何があったのかを問い詰めるでもなく“無断外泊した”ことに怒り心頭の、親族からの情け容赦のない言葉が直に胸に刺さること。
精神科医でもある和田秀樹監督は一人称視点で描くことで主人公のトラウマを見事に表現しているのだが、その撮影は難しのかと思いきや、カメラマンが主人公の目の位置にカメラを構えて撮影するというなんともアナログなもの。「監督の強い希望でほとんど全篇POV(=主観的ショット)として撮影されています」と語るのは撮影監督を務めた高間賢治。
「俳優はカメラのすぐ後ろに密着し、右手でカメラを持ち、左手を彼女の背中に当て、一心同体となって動きました。鏡に映る自分の顔を見るシーンはカメラを女優さんの顔の横に置いて鏡に映らないようにしました。大きな窓に全身を映してみるシーンはカメラが隠れる場所が無いので女優さんのコートにiPhone7を隠し、レンズだけ出るようにして撮影し、後でCGで消しました」と撮影時の苦労を語る。
いままでにない臨場感をウリに、『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』(98)など主にホラー映画のジャンルで多用されてきた一人称視点の作品。昨年公開された『ハードコア』(16)や今年公開の『悪女/AKUJO』(16)のようなアクションとも異なり、一人称視点の映画における可能性を広げた作品と言っても過言ではないはずだ。
文/トライワークス