映画で世界の気分を表す 第63回カンヌ国際映画祭総括

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映画で世界の気分を表す 第63回カンヌ国際映画祭総括

日本での話題といえば北野武監督の『アウトレイジ』(6月12日公開)がどうなるか、だけだった感のある今年のカンヌ国際映画祭が終わった。

イラクとアフガンで戦争は続き、世界経済は浮かび上がる兆しもなく、大地震が立て続けに起こるわ、火山は噴火するわ。第63回目の今年は様々なマイナス要素が重なり、色々な意味で今までになく低調だと言われていた。映画が時代を反映するものだとすれば、希望に満ちた作品が現れるはずもない。今年のカンヌ・コンペティションに集められた作品には希望を謳う作品はほぼ皆無。悲嘆や徒労感、どうしようもなさに置き去りにされる作品が多かった。作品の出来は悪くない。ただ、扱うテーマや描かれるストーリーが、暗いのである。時代を反映しているのだ。

そんな中でパルム・ドールに選ばれたタイの『ブンミおじさん』(日本公開未定)。映画製作状況のよくない国の独立系・アート系作家を応援したいというカンヌの方針にマッチしているし、審査委員長のティム・バートン好みのファンタジックな映像表現がある作品ではあった。しかし、よく考えてみると“ただならぬ死”に覆われた今年の作品群の中で『ブンミおじさん』の穏やかな、自然に抱きとられていくような死は、観る者に“救い”や“癒し”を感じさせるものではなかったか。

4年前、カンヌはグランプリに河瀬直美監督の『殯(もがり)の森』(07)を選んだ。死者を悼み、あの世に送る儀式、その象徴としての深い自然。それはこの2000年間、ヨーロッパ・アラブ世界には失われた感覚である。『ブンミおじさん』も『殯(もがり)の森』もそんなプリミティブな、東洋的な、スピリチュアルな、境界線の曖昧な生と死の世界を描いて、観る者に救いや癒しを与えている。

グランプリに選ばれたグザヴィエ・ボーヴォワ監督『DES HOMMES ET DES DIEUX』(日本公開未定)はイスラム社会の中で奉仕に殉じたキリスト修道士たちを描き、欧米記者たちに喝采を受けた。監督は「宗教についてではなく、人間の気高さについての映画」だというが、貧しく無知な村人と恩知らずで暴力的な武装イスラム原理主義者グループに対しての気高いキリスト修道士、という図式では、たとえそれが実話であろうと、今世界を引き裂き、ただならぬ死をもたらしている「キリスト教社会VSイスラム教社会」「貧困社会と富裕社会」の図式を越えることはできない。パルムにするわけにはいかないのだ。

ジュリエット・ビノシュが女優賞を受賞した『COPIE CONFORME』(日本公開未定)はイランのキアロスタミ監督初の海外制作作品だった。元夫婦の邂逅と再びの決裂を描き、後味も悪ければ、キアロスタミに哲学的なものを求める期待も裏切って、評判は良くなかった。が、これをメタファーととらえてみると興味深いのではないかと思い当たる。キリスト教とイスラム教、ユダヤ教は元をたどれば一つである。それがいがみ合い、別れ、争う。縁を修復しようとするが、お互いに自分のやり方や正しさを言い張るためにまた決裂してしまう。瞬間的に近付くけれど、また言い合いが始まり、喧嘩になって分かれていく。端から見れば、どうしようもない意地の張り合い、痴話喧嘩にすぎないのだが。ふぅむ。キアロスタミならやりそうな暗喩、だなぁ。かくして、どうしようもない無理解と不寛容の中人々は殺され、殺し、ただならぬ死体が積み重なる。

そんな時代や社会の反映としての死がシリアスに描かれていく中で『アウトレイジ』が描く、時代や社会とは切り離された暴力や死は分が悪かった。オリジナルな表現のための誇張された暴力や殺しを面白がれる時代ではないのだ。世界に死があふれすぎているのだから。

せめて安らかな死を。受け入れられる死を。『ブンミおじさん』のパルム・ドール受賞は、そう考えればこれしかない作品だったのかもしれない。やはりカンヌは映画で世界の気分を表してくれたのである。【シネマアナリスト/まつかわゆま】

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