AV女優、紗倉まなが“生きづらい街道”を突き進む女性の生き様を語る!【映画『エリカ38』特別コラム】
昨年、惜しまれながらも亡くなった樹木希林が企画し、浅田美代子が色香で男たちを惑わし、話術で女たちをたぶらかす主人公を演じた映画『エリカ38』(6月7日公開)。実際にあった詐欺事件をモチーフにした本作について今回、日本を代表するAV女優として活躍する傍ら、AbemaTVの番組でコメンテーターを務め、「最低。」「働くおっぱい」などの著書も執筆するし、あらゆるメディアで活躍する紗倉まながコラムを寄稿!
前編では、世間から押し付けられる“正しさ”のなかでもがきながらも、現代を生き抜いていこうとする女性の生き様をとらえた本作について、独自の目線で綴ってもらった。
女性だから生きづらいというよりかは、魂そのものが生きにくい
“女性の生きづらさ”について質問される機会が最近とても増えた。正直、答えに悩み唸ってしまう自分がいる。女性は生理や出産などの身体的なフェーズも多いし、その1つ1つが体内で定期的に起きる出来事でもあって、どれだけ心が健康でも、逃れられない苦痛を背負わされる。加えて、強制的に置かれた社会的な立ち位置や、受け続けた性差別も含めれば、女性が生きづらさを感じる局面というのは世界の至るところに落ちていて、拾い上げた残酷な事実を目にすれば、私もとてつもない息苦しさや憤りを感じる。残念だけれど、頻度としては少なくはない。
とはいえ、女性だけではなく男性も生きづらい昨今、どちらが辛いのか、どちらがしんどいのかを議論するもっと手前の段階で、性別とは関係なしに生きづらさを感じている人間がいることを、どれだけの方が気付いてくれているのだろうか。「女性だから」「男性だから」ではなく、「自分だから」生きづらいともがいている人。世界にうまく馴染めずに、よく躓いてしまう人のことだ。私に当てはまるのがまさしくこれなので、「女性だから生きづらいというよりかは、魂そのものが生きにくいんです」という答えに落ち着いてしまい、質問される意図に反しているので、毎度インタビュアーの方を困らせる結果となる。
“生きづらい街道”をまっすぐに突き進む女性、エリカ
そんななか、『エリカ38』という映画を観た。樹木希林さんが企画し、浅田美代子さんが主演というなんとも豪華な布陣。お2人とも大好きな俳優さんだったので、大変ミーハーな私は途端に興味が湧いて鑑賞することにした。しかし、そんなミーハー心も一気に冷え切った息の詰まる瞬間が、この映画では何度も訪れる。“生きづらい街道”をまっすぐに突き進む女性が、浅田美代子さん演じる主人公の渡部聡子、通称“エリカ”だったのだ。
本作の主人公、エリカは水商売をしながらネットワークビジネスを行う、60歳過ぎの女性。柔らかいユーモアを含くんだ口調で、人々から架空の投資話への支援を募ったり、怪しげなサプリメントの購入を勧めたりもする。ある日、エリカは喫茶店で出会った女性、伊藤の紹介で、不思議な男、平澤に出会うことになる。国境を跨いでビジネスを展開しているという平澤は、魅力的な言葉を散りばめながらエリカの心を掴み、途上国支援のための資金集めをエリカに任せることにする。ミステリアスな平澤に言われるがまま、エリカは出資者たちから資金を集めていくのだが、金と人の深みにはまっていくエリカを待ち受けているのは、救いも頼れる人もいない、乾いた世界だった…。
連想される“あの女性詐欺師”、一歩間違えれば紗倉も…?
女性詐欺師、という5文字を頭に浮かべると、あの事件を思い出した。最近では獄中結婚をしたと話題になった、あの女性だ。周りから見れば詐欺に違いはないのに、異性の心を掴んでは金を貰い、あたかも自分はなにも悪いことをしてないと言わんばかりに毅然と振る舞い続ける彼女に、独特な魅力があることを前々から強く感じていた。実際に本人がなにを考えているのかは、もしかしたら本人すらわかっていないところもあるのかもしれないし、その人の心をえぐり出して隅々まで見ることだって当然不可能だけれど、世間からは「到底理解できない存在」「悪女」として取り扱われる彼女を、かつては同じようにそういう目で見てしまっていた自分がいたことまで鮮明に思い出した。
詐欺を繰り返し、厚みを増す札束を手にして、自分の価値を示すかのようにブランド品を身につけては異性を囲い、シャンパン三昧遊び惚ける。こういった安易な衝動や武装は、ドラマや漫画の中で描かれる“散財コース”の定番とされていて、どこか見慣れた光景でもある。平凡な人生を送ってきた私ですら、日々貨幣価値は変わってきているのだから、誰しもがその甘い罠にはまってしまうことはなんとなく頷けるけど、とはいえ、どうなのだろう。自分の歩む道が少しでも違っていたら?手元にあるお金や身につけた才が違っていたら?同じく安易に散財し、人を集め、ひんしゅくを買う結果になっていたのだろうか。エリカと自分が根本的に異なっている部分は、どこにあるのだろうか。
決して共感できないと思っていた人物に対してのささやかな心の歩み
エリカの、決して恵まれているとは言えない家庭環境。思春期に目撃してしまった父親の不倫。魅力的な男に翻弄され、人を騙し、金に溺れ、その先に訪れるものはわかっているはずなのに、生き急ぐように絶望を買ってしまう衝動。そんなエリカの波乱万丈な生き方は、明確な意思があってのことなのか、流されるままにそうなってしまったのか。生来植え付けられているエリカのDNAに、既にそういった要素が含まれていて、やはり血に抗うことはできないのか。なんでこうなってしまったのだろうかと思いつつも、本作を見続けていると、こうなるべくしてなったと肯かずにはいられない瞬間が何度も訪れるので、過ったよぎった疑問をも説き伏せてしまう。
ともすれば、彼女たちが詐欺師になったときのことや、詐欺師になったあとのことではなく、詐欺師へと変貌するまでの過程のなかに、私はなにかしらの魅力を感じているのだな、と気付かされたのである。
頭をフル回転させ、言葉を巧みに使いこなし、人を魅了するオーラを纏って突き進むエリカ。ちょっとやそっとじゃぶれない強固たる精神を彼女が持ち合わせるまでの人生は、コートを羽織るように容易いものでは決してないはずだ。詐欺に努力もなにもないとは思うけれど、“詐欺ができる人”もまた、どこかで選ばれてしまっているところがあるのかもしれない。そう考えたときに、とてつもない寂しさを感じてしまうのだ。そしてその寂しさが、決して共感できないと思っていた人物に対してのささやかな心の歩みへとつながっていく。
“エリカ”はどこにでも存在する…身近で“躓いている”人たち
私たちはわかりやすく目立つものに惹かれるくせに、わかりやすく目立つものが負に転向した瞬間、即座に離れ、即座に叩く癖がある。はみ出た杭を叩きすぎて陥没させてしまっていることにすら、気付かなかったりする。善悪だけで語ろうとすることで、その人の生きてきた人生すべてを潰してしまうことだってある。
誰もが、なにかが“普通”ではなく、なにかに依存し、なにかが欠如していて、自分が思っている“普通”や“当たり前”には、多かれ少なかれ他者との差があるはずなのに、そんな自分にはひどく鈍かったり、なるべく見ないようにしてしまう。人を騙し、女という性を媚びと共に売っている人を横目で見ては馬鹿にして、でも時折憧れたり妬んだりもして、最後は罵倒して社会的にも殺そうとしてしまう。観ているこちら側の感情のほうが圧倒的に忙しい。
『エリカ38』を観ているなかでなにより驚いたのは、エリカが生きている時代だった。エリカがスマホを取り出し平澤にメッセージを送っている姿を見て、「そうなのか」と妙なため息が出た。こんなに情報と物が溢れ、選択肢が多すぎて迷うほど潤って見える時代に、自分の心の輪郭すらもわからずにもがかなくてはいけないだなんて。寂しさは時代を問わない。遠い場所で起きていることだと思えたり、自分とは関係のないと思っていた人も、私たちが構築する世界には、意外にも身近に“躓いている”人たちがたくさんいる。私たちの周りにいる“エリカ”は、いったい誰なのだろう。
文/紗倉まな 構成・文/編集部