永井豪のマジンガーZ、デビルマン誕生秘話「自分の情熱を信じて進んできた」

インタビュー

永井豪のマジンガーZ、デビルマン誕生秘話「自分の情熱を信じて進んできた」

画業50年を超えたいまもエネルギッシュ!永井豪が明かす発想、原動力の源とは
画業50年を超えたいまもエネルギッシュ!永井豪が明かす発想、原動力の源とは撮影/成田おり枝

アニメ版の大ヒットでも知られる永井豪の代表作「マジンガーZ」の格納庫の建設設計に本気で挑んだサラリーマンの実話から生まれた映画『前田建設ファンタジー営業部』(公開中)。「意味がない」と思えることに情熱を注ぐ姿が胸を打ち、笑っているうちに感動がこみ上げてくるようなエンタテイメント作品に仕上がった。本作には「マジンガーZ」生みの親で、日本漫画界の巨匠である永井本人もチラリと登場!そこで永井を直撃し、映画の感想を聞くとともに、「マジンガーZ」誕生秘話や、本作のテーマとも通ずる“ものづくり”のおもしろさまでをたっぷりと語ってもらった。

サラリーマンの実話を映画化!『前田建設ファンタジー営業部』
サラリーマンの実話を映画化!『前田建設ファンタジー営業部』[C]前田建設/Team F [C]ダイナミック企画・東映アニメーション

ダムやトンネルなど、数々のプロジェクトに携わってきた実在する企業、前田建設工業株式会社によるウェブコンテンツをモデルとして描く本作。若手サラリーマンのドイ役を演じる高杉真宙をはじめ、実力派俳優が顔を揃えてサラリーマンの奮闘を熱く体現した。

「格納庫建設の見積もり…そんなことをしてなんの意味があるんだろう?と思った(笑)」

前田建設工業では「アニメ、漫画、ゲームといった空想世界に存在する建造物を本当に受注し、現状の技術および材料で建設するとしたらどうなるか?」について、工期や工費を含めて検討するウェブコンテンツ“前田建設ファンタジー営業部”を開設している。企画スタートの2003年に、まず“前田建設ファンタジー営業部”が目をつけたのが、マジンガーZがプールの下に隠された地下格納庫から勇ましく登場するシーンだった。「第一弾企画として、マジンガーZの格納庫を取り上げたい」との打診を受けた永井は、「なんでそんなことを考えるんだろうと思った(笑)」と率直な想いを打ち明ける。

「ずいぶん奇特なことを考えるなあと。本気なのか冗談なのかもわからなかったし、そんなことをしてなんの意味があるんだろう?と思ったんです(笑)。よくわからないけれど、『お好きならどうぞ』という形でお返事しました」と不思議な気持ちだったものの、その後、ウェブコンテンツは大人気を博し、書籍化も実現。「書籍になった時は『なるほど』とおもしろく読みましたし、今回の映画を観ても『格納庫建設の見積もりに真剣に取り組むことで、この企業が実際に行っていることもわかる。『こんなこともできるんだ』と建設会社の力量も示すことができる企画なんだ』と改めて実感して。実におもしろい企画ですよね」と発想力に舌を巻く。

「意味があるのか?」と思うことに本気で取り組んでいく
「意味があるのか?」と思うことに本気で取り組んでいく[C]前田建設/Team F [C]ダイナミック企画・東映アニメーション

劇中では、マジンガーZの格納庫実現のために、サラリーマンたちがアニメの全話を鑑賞し、建設場所の地質や水圧を事細かに調査したり、必要な重機を思案したりする姿が描かれる。自身のアイデアから生まれたマジンガーZの格納庫だが、永井は「その工程のすべてがおもしろかった」と興味津々で映画を観たそうで、「アニメではマジンガーZが格納庫内で“横移動”をしてしまう回があったんですが、そんな展開があることに大慌てする登場人物たちの姿には、大笑いしました。アニメの時は『横移動して逃げちゃおう』なんて簡単に考えて進めてしまったんですが、皆さんそれに対して大真面目に対処しようとしていて。やっぱり、大真面目に取り組んでいるということが、原作者としてはなによりうれしかったです」と目尻を下げる。

調査を経て、格納庫一式の見積りとして算出されたのは、価格72億円、工期6年5か月という数字。「72億円なんて見たこともないし、まったく想像もつかない数字ですね!アニメや漫画は、どんな大掛かりなことも、お金の計算をせずにいろいろなものを作ることができる。それは楽しいですよ」と笑う永井。「でも実際に格納庫を作ることができるのならば、もしかしたらマジンガーZもいつかできるのではないか。そんな幻想も生まれて、夢を感じました」と“前田建設ファンタジー営業部”の活動から夢ももらったという。

「『マジンガーZ』には、僕の夢が詰まっている」

マジンガーZの格納庫はどうやって生まれたのか?
マジンガーZの格納庫はどうやって生まれたのか?撮影/成田おり枝

1972年に誕生した「マジンガーZ」は、世界征服を目論む天才科学者Dr.ヘル率いる“機械獣”と、スーパーロボット・マジンガーZの操縦士、兜甲児との戦いを描く物語。“乗り込み型ロボット”というまったく新しいアイデアが話題を呼び、その後のロボットアニメにも大きな影響を与えた。そもそも「マジンガーZ」は、永井にとってどのような作品だろうか?

すると永井は「ロボット漫画を描くことは、僕の夢だったんです。いつか描かなければいけないと思っていた」と告白。「僕自身『鉄腕アトム』や『鉄人28号』が大好きでしたから、いつか自分のロボットを見つけたいと思っていました。でもアイデアがないまま、ほかのロボット漫画の後追いで描き始めたら、それは先人の先生方にも申し訳ない。ファンだからこそ、先生方が怒るようなことはしたくなかった。いつか違う形のアイデアが生まれたら…と思っていたんです」。そしてある日、交通渋滞に巻き込まれた際に「車から脚が伸びて、ほかの車を乗り越えられたら、どんなにいいだろう」と“乗り込み型ロボット”のアイデアが思い浮かび、「これならアトムとも鉄人ともぶつからない。これだ!と思って。急いで仕事場に戻って、スケッチブックにあらゆる絵を描きました」。

マジンガーZが格納庫から登場するシーンについては、「あのシーン、すごくかっこいいですよね。でもどうやって生まれたものなのか、その過程をあまり覚えていないんですよ」と照れ笑い。「おそらく、映画『十戒』などをイメージして描いたのかもしれません。『どのようにキャラクターを登場させたらかっこいいか』というのは、漫画の演出のうえでは必ず考えることです。いつも山のように映画を観ていますから、そういったところからアイデアも出てきます」と語る。

「発想の源は映画や舞台、落語を観たり…。映画の撮影現場も大好きです!」

「僕の出演シーンも見どころですよ!」
「僕の出演シーンも見どころですよ!」撮影/成田おり枝

「マジンガーZ」だけでなく、「ハレンチ学園」「デビルマン」「キューティーハニー」など数々の名作漫画を世に送りだしてきた永井。発想力を磨くうえでは、「たくさん映画や舞台を観たり、落語や歌舞伎にも行くし、小説を読んだり、美術館にもスポーツ観戦にも行きます。漫画に役に立ちそうなもの、吸収できそうなものがあれば、貪欲になんでも行く」とインプットする時間が大事だという。「一つのものを見て、その影響でなにかを作りだしたとしたらそれは盗作になってしまいますが、たくさん吸収して、自分の頭のなかでミックスされて出てきたものは、その人のオリジナルになる」。

特に映画は大好きで、いまでも毎日観るのだとか。「上京した当時は大塚に住んでいたんですが、電車賃がもったいないので、歩いて大塚から池袋まで行って。安い3本立て上映を見つけては、次から次へと映画を観ていました。いまでも毎日、映画を観ない日はないです。最近おもしろかったのは、『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』。うまくまとまっていて、良かったなと思いました。昨年、観たものでは『ジョーカー』もおもしろかったですね」。

映画愛あふれる永井は、『前田建設ファンタジー営業部』ではカメオ出演も果たした。「僕の出演シーンも見どころですよ!」とお茶目にニッコリ。「映画の撮影現場も大好き」だそうで、「とにかく、ものづくりが大好きで、楽しいんです。Vシネマの監督をやらせていただいたこともありますし、映画の撮影現場はいろいろな人が力を合わせて、一つのことに取り組んでいるところがいい。漫画はだいたい自分一人での作業が多くて、自分との対話で作っていきますが、映画は監督が『こうしよう』と言うと、みんながワーッと動くわけです。お祭りのような感じもあって、漫画とはまた違った楽しさがあるものだなと思います」。さらに「いろいろな人が集まって、ものづくりのために試行錯誤する楽しさは、まさにこの映画でも描かれていることですね」と本作のテーマ性にも共感を寄せていた。

「過激、残酷…いろいろ言われても自分の情熱に従ってきた」

「デビルマン」は「描けば描くほど自分自身もボロボロになった」
「デビルマン」は「描けば描くほど自分自身もボロボロになった」撮影/成田おり枝

画業50年を超えたいまもなお、エネルギッシュに活動をしている。走り続けるために必要だと感じるものは、「なによりも自分が一番、楽しむこと」。「想像することが大好きだし、『自分がおもしろく、楽しく取り組むためにはなにを描いたらいいのか』といつも考えています。そういった意味では、好奇心が創作力の源になっていると思います。それでも描いている時は、苦しいことも山ほどありますよ。締め切りはやってくるし、編集さんから『人気が落ちています』と言われることもあるし(笑)」。

好奇心と共に、「自分の情熱を信じること」も大切にしている。「マジンガーZ」の連載スタート時には、こんなエピソードも。「『マジンガーZ』の連載をやろうと『週刊少年ジャンプ』に持って行ったら、『「ハレンチ学園」が大ヒットしているのに、ほかのものをやるなんてとんでもない!』と激怒されまして。『どうしても描きたいんだ』となんとか説得して、かなり強引に描かせてもらいました。なので『マジンガーZ』がヒットして、『自分の決断は間違っていなかったんだ』と本当にうれしかったですね」。

自分を信じ、「たくさんケンカもしてきましたよ。ほとんどの出版社の編集長とケンカしたんじゃないかな(笑)?若い時は『自分はこういうものを描きたいんだ』ということを、絶対に曲げなかった。でも、ぶつかり合える編集者と出会えたことも良かったなと思っています。たくさんの出会いのすべてが、自分を成長させてくれました」と力強く漫画道を歩んできた。

最も自分を貫いたと感じている思い出深い作品は、「デビルマン」だという。「『デビルマン』は、かなり自分の想いを貫いて描いた作品。『過激だ』『残酷すぎる』など、いろいろ言われましたからね。描けば描くほど自分自身もボロボロになって。なんでこんなに疲れるんだろうと思うくらいでした。最終回は1ページを描くごとに、ぐったり(笑)。全身全霊だったし、それだけのエネルギーを要する作品だったんだと思います。ものすごく大変だったけれど、『描きたいものを貫いてよかったな』といま読み返してみても喜びのある作品です」。傑作誕生の裏側には、あふれるほどの好奇心、そしてものづくりへの情熱が燃えたぎっていた。

取材・文/成田 おり枝

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