石井竜也が『ドラゴン・タトゥーの女』の“竜”つながりでデヴィッド・フィンチャーを直撃

イベント インタビュー

石井竜也が『ドラゴン・タトゥーの女』の“竜”つながりでデヴィッド・フィンチャーを直撃

本年度アカデミー賞で5部門ノミネートの『ドラゴン・タトゥーの女』(2月10日公開)で来日したデヴィッド・フィンチャー監督に、アーティスト石井竜也がインタビュー。『河童 KAPPA』(94)、『ACRI』(96)の映画監督としての顔も持つ石井は、今回『ドラゴン・タトゥーの女』関連のイベント「もう一つのドラゴン・タトゥーの女」(2月8日開催)をプロデュースすることになった。そこで石井が心からリスペクトしているというフィンチャー監督に、表現者ならではの視点から、本作に懸けた思いを聞いた。

全世界で6500万部を売り上げたスウェーデンの作家、スティーグ・ラーソンのミステリー小説を映画化した本作。敏腕ジャーナリストのミカエル(ダニエル・クレイグ)と、体中にピアスやタトゥーをした天才ハッカー、リスベット(ルーニー・マーラ)が、40年前の少女失踪事件に挑む。タイトルは、リスベットの背中のタトゥーから来ているが、「ドラゴンのデザインには苦労したんだ」と言うフィンチャー。石井が「竜也の“竜”もドラゴンです」と話すと、監督は「OH! ドラゴン!」と笑顔を見せた。

大ベストセラーを映画化するプレッシャーについて石井が切り込むと、フィンチャーは「自分がコントロールできないことを気にしていたら、生きていけないよ」と苦笑い。「映画の製作費だけで9000万ドルだから、1日に換算すると25万ドルもかかる。そんな中、氷の上をバイクで疾走するような危険がシーンがあったりするので、あまり考えないようにしたよ」。

石井は本作で表現されている3つの危険なことを指摘する。「1つはヒロインのように、すごく素晴らしいものを持っていながら、周りの人たちの偏見により追い詰められてしまうこと。もう1つはナチに代表される歴史に隠されたダークな部分。最後の1つは、フィンチャー監督が毎回、ご自身の作品で少しずつ入れている宗教のダークサイドです」。

フィンチャーは、その定義にうなずきながら、こう付け加える。「リスベットは外見で意図的に自己表現をしている。彼女は23歳の女性なのに、夜中に一人で地下鉄に乗っても襲われることはない。なぜなら、彼女は『私に触ったら、痛い目に遭うわよ』ってことを全面に出している。同時に、自分をゴミ扱いする人間と同じように、彼女自身も自分がゴミだと思っている。だからこそピアスを、眉や乳首など、痛い思いをしなければ開けられないところにしている。それは『自分はこの痛さに堪えられる。でも、私に何かしたらあなたにも同じ痛みを与えてやる』ってことを表現しているんだ」。

石井はさらに、スウェーデンの建物や家具、小物たちが全て、登場人物の背景を物語っている点にも着目すると、フィンチャーは「映画監督は、観客の目と耳に責任を持たなければいけない」と答えてくれた。「マルティンのスーパーモダンな家は新しいスウェーデンを象徴している。彼が自分は何も隠すものはないと言って、ガラス張りの家に住んでいる点も面白い。また、強いていうなら、スウェーデンの現代の社会主義は、第二次世界大戦で得た収益から成り立っている。そこに社会の矛盾があるってことも原作者は入れたかったんじゃないかな」。

最後に石井は、レッド・ツェッペリンの『Immigrant Song(移民の歌)』のカバー曲が流れるオープニング映像のこだわりについて聞いた。フィンチャーは、アニメーターの友人にあの映像をオーダーしたという。「タールみたいに光る、黒いものを使ってほしいとリクエストしたんだ。あれはリスベットの悪夢でね。彼女が今まで抑圧されてきたものが夢の中でうようよ出てくるのを表したかったんだ」。

フィンチャー監督の一言一句に目を輝かせていた石井。表現者として色々なものを精力的に手掛ける彼にとって、“鬼才”にして“ヒットメーカー”という稀有な映像作家、デヴィッド・フィンチャーの世界観は、かなり琴線を揺さぶるものがあったに違いない。石井によるイベント「もう一つのドラゴン・タトゥーの女」にも是非注目したい。【取材・文/山崎伸子】

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