『JAPAN IN A DAY』で8000本の動画と対峙した成田岳監督「発見と感動の連続だった」
2012年3月11日、日本が自然の脅威に晒された“あの日”から一年。人々はどんな思いで過ごしたのだろうか。11月3日(土)公開の『JAPAN IN A DAY ジャパン イン ア デイ』は、世界中の人々が思いのままに“その日”を映し、投稿した映像を繋いでできた意欲的なドキュメンタリー。たくさんの人のありのままの姿が、こんなにも胸を打つのはなぜなのか。8000本もの投稿素材に対峙した成田岳監督に話を聞くと、「発見と感動の連続だった」とその熱い思いを明かしてくれた。
集められたのは世界12ヶ国、8000本、300時間もの動画だ。「壮大な量ですよね。見るだけでも1ヶ月かかりました。当初は、途轍もないことを始めてしまったなと(笑)。でも、実際に見始めていくと、何かしら、どの映像も面白いんですよ。僕は普段、ドラマ製作に携ったり、フィクションの世界に生きている人間。集まった映像を見ることは、『この人にとってはこういうことが大事だったんだ』と感じて『なるほど』と思ったり、すごく楽しい時間でした。自分の狭い視野で見ているのとは違って、色々な人の視野が見えてくる。発見の毎日でした」。
リドリー・スコットの呼びかけによってできた『LIFE IN A DAY 地球上のある一日の物語』(11)の手法を踏襲した本作。監督は、このプロジェクトの可能性をどう感じているのだろうか。「『LIFE IN A DAY』を見た時にも思ったのですが、この手法の被写体とカメラの親密さは特別なもの。ドキュメンタリー映画を撮る時にも、被写体との距離を埋めようと必死になると思うのですが、最初から被写体が家族であることや、恋人であると、映るものが全く違ってきますよね。物理的な距離だけでなく、心情的に傍にいるという意味では、とても独特なメディアだし、だからこそ、見ている方も感情移入しやすいものになるんだと思います」。
製作過程において唯一辛かったのは、作品を選定する段階だったという。「作品を見ていると、色々な思いを託してくれたんだと責任感を感じて。たくさんの要素も必要だけれど、同時に一本の映画として、最後まで飽きずに見てもらわなければいけない。良い、悪いと判断するものではないですから。素材の持っている思い、送ってきてくれた時の思いを傷つけないようにしながら、一つの集合体として、人々の心に届くものになっていけば良いなと思っていました。ただ、そのバランスは本当に難しかったですね。正解があるものではないですから」。
3.11に焦点を絞った本作。できあがった作品には、被災地の映像もあれば、父親と遠出のサイクリングに出かける少年や、雪解けの土の上に小さな花を見つける少女など、様々な日常が映し出されている。どのように、この日に向き合いたかったのだろうか。「もちろん3.11から一年後となる一日ですし、そのなかで2時46分というのはとても大事な一瞬。でも、見終った後に、『悲しい一日だったね』という映画にはしたくなかったんです。震災にとらわれすぎて、『3.11を映すなら、こうあるべきだ』というエゴを主張してしまうのは、今回の映画にはふさわしくないと思って。余白を多めにとって、見る人が、そこに色々なものを書き込んでもらえるよう意識しました」。
3.11という特別な日を取り上げることによって、逆に「特別じゃない日なんて、一日もない」ということに気付かされる。被災地から送られた映像の中で、家族を亡くした一人の男性がこう語る。「3.11だからと肩肘を張って、さあこれからということはないんですけど、前に進むようにしたい」。監督も驚き、心を打たれる瞬間が何度もあったという。「土台しかなくなってしまった家に向かって、女性が語りかける映像も印象的で。僕も見る度に涙していました。顔が見えないんですが、見えなくても撮っている人の人柄が伝わるし、自慢であっただろう家がなくなっても、朗らかに、黄色い旗を立てたり、グリーンハウスで栽培を始めたり。一日、一日を生きている。人ってこんなにも強いんだなと感じました」。
あえて明確な主張は避けたにも関わらず、メッセージ性を持った作品に仕上がった。「ありのままの姿や、さりげない日常のなかに、日本人のたくましさが失われていないことに気付かされました。えらそうに聞こえてしまうと嫌なんですが、やっぱり捨てたもんじゃないなって思ったんです」。静かに、しかし熱く、誠意を持って胸の内を明かしてくれた成田岳監督。第25回東京国際映画祭では、120人の動画投稿者を共同監督者として、一緒にグリーンカーペットを歩いていた。是非、一人、一人の思いに触れ、それらが引き起こす化学反応を感じてほしい。【取材・文/成田おり枝】