中田秀夫監督の3.11ドキュメンタリー、その舞台裏の葛藤とは?

インタビュー

中田秀夫監督の3.11ドキュメンタリー、その舞台裏の葛藤とは?

『リング』(98)など、ジャパニーズホラーの名手である中田秀夫監督が、東日本大震災の半年後の被災地の人々を撮ったドキュメンタリー『3.11後を生きる』(2月23日公開)。津波でかけがえのない家族を失った人々の悲痛な叫びや喪失感を訴えながらも、少しずつ前に踏み出した彼らの今を活写した本作。カメラを回した中田監督に、本作を撮った気概と葛藤について話を聞いた。

撮影をしたのは、震災が起こった4ヶ月後の2011年7月から10月までの4ヶ月間だ。「瓦礫はある程度、山にまとめられていましたが、仮設住宅などはまだそこには立っていなくて、震災の爪痕が生々しい状態で。たとえは本当に悪いですが、大空襲を受けた後のような感じでした」。

当然ながら、被災者にマイクを向けるのも容易ではなかった。「7、8月の盆を迎える前だったので、言葉使いには一番気を遣いました。既に亡くなられているかもしれないけど、あくまでもまだ行方不明のご家族として、語尾を現在形で聞くのが礼儀だと思ったので。特に、盲目の整体師の方は、奥さんと、自分たちの手足になってくれていたお子さんの両方が津波にさわれてしまったんです。もちろん、ご自身で避難所の体育館などを回られたとは思いますが、人から情報を聞くしかなかったと思います」。

被災者が、家族の遺体を自分の目で確認するまでは、なかなかその死を現実として受け止められない。「町会議員の奥さんは、お父さんやお母さんが行方不明のまま、遺品を入れてお葬式を挙げられました。でも、奥さんは『何ヶ月経っても遺体が見つからないと、馬鹿な考えが起きて、どこか離れ小島にたどり着いて、生きていてくれるんじゃないかと思ってしまう。いや、そう思いたい』と、仰っていて。取材させていただく方が、いなくなってしまわれた家族をどう思っていらっしゃるかを考慮しながら、質問をしていきました」。

一番の軸となっているのは、一家全員を亡くした漁師の五十嵐さんのエピソードだ。「五十嵐さんは初めてお会いした時、やっぱり若干警戒心がありました。既にテレビや新聞でも随分出られていた後だったので、最初にお会いした時、『何が聞きたいの?』と尋ねられたんです。『辛いとか、悲しいとかいう感情を引き出したいのだったら、俺はやらない』と言われて。いや、そうじゃなくて、自分一人が助かったという、辛くて悲しすぎる自責の念があるのは重々承知しているなかで、今、現在、これからをどう生きようとしているのかを伺いたいと。それで腹を割って話したら、ああいう気風の良い人なので、『よし、わかった』と言ってくださって。彼は年下ですが、僕の方が弟分みたいな感じで、本当に色々と動いてくれました」。

実際、話はするけど撮影はできないと言われたことも何度かあったが、取材を進めていくうえで断られた人はたった一人だったそうだ。「恐山に一緒に行った三浦さんも、最初は顔は映さず、声だけなら良いよ、と言われました。というのも、親戚や周りから色々と言われたりして、いろんな感情が芽生えつつあった時期だったし、それぞれに温度差がありましたし。でも、最終的には出演していただきました」。

寺が火災で焼け、お父さんと住職を亡くされた曹洞宗の高岩寺の現住職は、あらゆるメディアの取材を受け続けたという。「曹洞宗の教えでもあるのですが、寺の門を叩くものは、誰しも拒まないということでした。だから、この現状を伝えてくれる意志のある人の取材なら、全て受けるという姿勢でした。でも、老人の介護施設で働く息子さんを亡くされた方もそうですが、行政の不備や理不尽さみたいなものを訴えたいという一方で、息子は最後まで立派に生きたんだってことを伝えてほしいという意志も強く感じました。我が愛する家族が生きた証として撮ってくれるのであれば受けるという姿勢だったと思っています」。

東日本大震災からちょうど2年という月日が流れ、被災地の報道も少なくなってきた今だからこそ見ておきたい『3.11後を生きる』。被災者の苦しみを本当の意味でわかることなど到底できないが、それでも目を見開き、改めてこの震災の傷跡を見つめ、今を生きる被災者の方々に思いを馳せてみたいと強く思う。【取材・文/山崎伸子】

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