【追悼】高倉健、来春の撮影を控えながら逝去。降旗康男監督「無念です」

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【追悼】高倉健、来春の撮影を控えながら逝去。降旗康男監督「無念です」

名優・高倉健、死去。日本映画界を牽引してきた巨星がこの世を去った。享年、83歳。遺作は『夜叉』(85)や『鉄道員(ぽっぽや)』(99) などで組んできた降旗康男監督との20作目のタッグ作『あなたへ』(12)だった。すでに降旗監督との次回作を準備中だったそうで、訃報を受けた降旗監督は「残念の一言です。来春の撮影を楽しみにしていましたが、できなくなってしまいました。無念です」というコメントを発表。降旗監督の計り知れない喪失感が伺えた。

長年、高倉と組んできた降旗監督は以前に『あなたへ』のプロモーションでのインタビューで、「健さんは、僕にとって、アイドルです」と照れくさそうに言っていたのが印象的だった。その演技については「健さんは、演技をパフォーマンスだと考えていないんです。もしそう考えていたら、どんな相手でも演技が変わらないけど、健さんは相手によって演技が変わる、役者ならざる役者だと思うんです」と解釈。どんな役柄でも、高倉は役を演じるというよりは、その役の人生を生き、その場で感じた思いを伝えてきた俳優なのかもしれない。

高倉は、日本映画界に燦然と輝いてきた大スターなのにもかかわらず、常に「無骨」とか「不器用」だと形容されることも多かった。実際に、すいすいと器用に、業界を泳いできたタイプではないらしい。同作のインタビューで、高倉は俳優デビュー当時、演技のダメ出しをくらった経験が忘れられないと言っていた。「50何年前に俳優にならないと食っていけない状況がありました。大学を卒業後、俳優の道を選んだけど、『君は向かない。何百人も生徒を見ているが、悪いこと言わないから君はやめなさい』と。決定的なことを言われたんです。それで『負けるもんか』で、今日まで何とか生き残って、50何年やってこられました」。

そう、『電光空手打ち』(56)で映画デビューをして以来、高倉のキャリアは半世紀以上に上る。でも、その長い道のりを歩いていても、決して浮足立つことはなかった。降旗監督も高倉の魅力について「人としても俳優としても一本の道を真っ直ぐに歩いてらっしゃるところです」と言っていたが、実に納得。

“大御所”“ベテラン”というポジションに行き着いても、常に映画や共演者たちに向き合う姿勢は「みずみずしい」と形容したくなるくらいに、若々しく謙虚だった。『あなたへ』のインタビューでは、共演の大滝秀治(本作が遺作となった)の演技に心ふるわせ、涙したそうで「大滝さんの芝居を間近で見て、あの芝居の相手でいられただけで、この映画に出て良かった、と思ったくらい、僕はドキッとしたよ」と、語っていた。

また、同作の第36回モントリオール世界映画祭の公式上映での長いスタンディングオベーションでは、感激し、ハンカチで目頭を押さえる姿もあった。その時「皆さんの拍手を受けて、何かわからないぞくっとするものがありました。これが映画祭の持っている魔力なのでしょうか。何十年も役者をやってきても、こんな経験をするんですね。心に衝撃を受けました」と、感激しきりだったそう。

多くの人に惜しまれ、この世を去った、名優・高倉健は、俳優として、後続の人々にも大きな道を残してきたと共に、深い愛情をもって接してきたようだ。それは、『鉄道員(ぽっぽや)』(99) で共演した大竹しのぶが寄せたメッセージからも伝わってくる。「たった一度だけの共演でしたが、十本も二十本も映画を撮ったような、豊かで素晴らしいことを沢山教えていただきました。映画人『高倉健』の魅力は、そのまま、人間『高倉健さん』の魅力です。美しく、気高く、そして何よりも優しい健さんを一生忘れません。神様みたいな人が、本当の神様になってしまったようです」。

偉大なる名優に合掌。【文/山崎伸子】

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