【追悼】名優・菅原文太、晩年は農業に従事。強くたくましい生き方を貫く
『仁義なき戦い』や『トラック野郎』シリーズなどで親しまれた俳優・菅原文太が、11月28日に転移性肝がんによる肝不全のため、永眠。11月30日に、福岡・太宰府天満宮祖霊殿で家族葬が執り行われた。高倉健と共に、仁侠映画の黄金時代を作った名優だが、晩年は俳優業を引退して農業にいそしみ、81年の人生を全うした。
『現代やくざ』シリーズや『関東テキヤ一家』シリーズで人気を博し、1973年よりスタートした『仁義なき戦い』シリーズで東映を代表するスターとなった菅原。『トラック野郎』シリーズや『不良番長』シリーズ、『まむしの兄弟』シリーズなどで、不動の人気を獲得。晩年はいぶし銀的スターとして活躍していた。
2011年3月11日に東日本大震災が勃発。「今は映画を撮っている時じゃない」と、山田洋次監督作『東京家族』(13)を降板した。その後、菅原は、2012年11月13日に都内で行われた、菅原が名誉顧問を務める民間非営利団体(NPO)「ふるさと回帰支援センター」の設立10周年記念講演で、引退を表明。ただ、細田守監督作『おおかみこどもの雨と雪』(12)では、声優として参加し、図らずしも本作が遺作となってしまった。
晩年、声優としての評価も高かった菅原。『千と千尋の神隠し』(01)の釜爺役や、『ゲド戦記』(06)の大賢人ハイタカ役でも、圧倒的な存在感を発揮した。『おおかみこどもの雨と雪』では、おおかみと人間の間に生まれたおおかみこどもを育てるヒロイン、花(声:宮崎あおい)に、農作業を指導する、頑固な長老・韮崎の声を演じた。菅原は当時、山梨県韮崎市で農業を営んでおり、まさにあて書きされたような役柄だった。
アフレコをした際に、菅原は「俺が子どもの頃から知っている農業は、人間がその日、その日、食べるものを得るために、お金にほとんど縁もなく、ただ土を良くすることに励み、美味で身体にも良い力のある作物を作っていた。ところが戦後、アメリカナイズされたのか、いつのまにか機械や化学肥料・農薬を使うようになってしまった」と語っていた。また、細田監督に「農業というものはもっと単純で本当は楽しいものなんだ、風や水や空気に囲まれてこつこつ作っていくものなんだということを、おおかみこどもたちが今の若い日本人に気が付かせてくれると良いね。監督、そういう作品を作りな」と、激励していた。
その後、同作の初日舞台挨拶に欠席した際にも力強いメッセージを託している。「農業は、諦めない根気と辛抱と共に、諦める思い切りの良さも必要だ。そして何より、細田さんがこの作品に込めた風土への愛情が大切だ」。細田監督はその言葉を受け「文太さんとアフレコに臨み、温かさと大きさを感じました」と言葉をかみしめていた。
今回、菅原文太のご令室・菅原文子氏からも以下のようなコメントが寄せられた。「七年前に膀胱がんを発症して以来、以前の人生とは違う学びの時間を持ち『朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり』の心境で日々を過ごしてきたと察しております。
『落花は枝に還らず』と申しますが、小さな種を蒔いて去りました。一つは、先進諸国に比べて格段に生産量の少ない無農薬有機農業を広めること。もう一粒の種は、日本が再び戦争をしないという願いが立ち枯れ、荒野に戻ってしまわないよう、共に声を上げることでした。
すでに祖霊の一人となった今も、生者とともにあって、これらを願い続けているだろうと思います。恩義ある方々に、何の別れも告げずに旅立ちましたことを、ここにお詫び申し上げます」。
俳優としても、人間としても、一本筋の通った生き方を貫いた菅原文太。心からご冥福をお祈りします。【文/山崎伸子】