野村萬斎、50歳を迎えて目指す境地とは?「40、50は鼻垂れ小僧」
狂言師として伝統を守りながら、映画・舞台でも鮮烈なキャラクターを演じて唯一無二の存在を放つ野村萬斎。『スキャナー 記憶のカケラをよむ男』(4月29日公開)では、初めての現代劇に飛び込む。演じる“引きこもりの超能力者”との共通点を探ると、彼がこれまで歩んできた道のり。そして目指す境地が浮き彫りとなった。
萬斎が演じるのは、物や場所に残った人間の記憶“残留思念”を読み取ることができる超能力者の仙石。人間嫌いで超ネガティブという変人キャラクターだ。脚本家の古沢良太が萬斎をイメージして作り上げたというが、萬斎は「トライアルでした」と笑顔を見せる。
「仙石は、自分の殻に閉じこもって引きこもっている人物。威勢も悪いし、姿勢も悪い。ボソボソとしゃべらなければならないんだけれど、それがなかなか難しくて」。それは狂言師として、真逆のあり方だからだとか。「僕は普段、背筋を伸ばし姿勢よくしているし、声も腹から出しています。だんだんと話し方が朗々としてしまって、(金子修介)監督に『お腹から声が出ていますよ』と指摘されることもあって」
実際の萬斎はオープンで人と会話をするのも大好き。その彼が仙石役を演じるというギャップが面白いが、脚本家の古沢にとって萬斎へのアテガキというのが驚きだ。萬斎は「こう来たかと思いました」とニヤリ。残留思念という超能力を持った男・仙石は、「人のために才能を使う」ことで自分を認めていく。その過程は、自身にも重なるものだというのだ。
「『才能は人のためにある』というセリフは、僕の心にもとても響くもので。僕には、狂言という特殊な技術というか、特殊な芸能のチップを埋め込まれたサイボーグのような感覚があるんです。3歳からやっていますから、自分の意志にかかわらず、プログラミングされた『サイボーグ009』の島村ジョーのような気持ちですね(笑)。でもそのように生まれてしまったのはもう変えようがないし、戻りようもない。そうなると、狂言師として生きて、いい舞台をすることが自分の存在証明になっていくわけです。そしていい舞台をするためには、自分のためだけにではなく、人のために狂言をやることが大事なんです」
仙石は自身の才能に戸惑い、葛藤する。その葛藤も共感できるものだった。「僕も昔は、なんで狂言の稽古なんてしなければいけないんだと思っていた時期がありました。こんなものやっていても女の子にモテやしないと(笑)。バンドを組んだり、バスケに興じたりして、わかりやすい世の花形という方向を向いていました」と進む道に悩んだこともあったそうだが、黒澤明監督の『乱』への出演が葛藤を乗り越えるきっかけとなった。
「外に出て戦うとなると、自分にとって何が一番の武器になるかと考えたんです。するとやはり自分は、誰にも真似できない能力のようなものを持っているんだと思った。自分のやってきたことが時代劇にも活きるし、そうすると羽生(結弦)選手が『陰陽師』を参考にしてくれたりとか、うれしいことに派生していったりすることもあるわけで。そういうものすべてが自分の存在証明になります」
培ってきたものすべてが、存在証明になる。その思いを胸に、八面六臂の活躍を見せている。様々な挑戦を通して、気づいてきたことがあるそう。「僕らは様式美や型から入って演じるところから、内実を充実させていく方法論。普通の役者さんは、まず内実があって、ある種の方法論が確立されていくんだと思います。でもそれは、入り口が違うだけのような気がして。最終的にはその隔たりがなくなっていく気もしている。だからこそ、現代劇にもとても興味がありました」
50歳という節目の年を迎えた2016年。「父の芸は80代半ばになって型を感じさせない境地になってきている。僕らの世界では、『40、50は鼻垂れ小僧』といわれています。様式性を乗り越えて中身のある演技をするためには、基礎が叩き込まれた上で、色々な経験値がそれを勝ってこそできること。自分のやってきたことも、バラバラだと思っていたことが、形が内実を凌駕するがごとく、ベクトルがひとつになってきているような気がします」。目指す境地に向けて、ワクワクとした気持ちを明かす。描かれる謎解きミステリーとともに、野村萬斎の新たなるチャレンジをぜひ楽しんでほしい!【取材・文/成田おり枝】