『怒り』の李相日監督が語る、渡辺謙らキャスト7人との撮影秘話【前編】
渡辺謙、森山未來、松山ケンイチ、綾野剛、広瀬すず、宮崎あおい、妻夫木聡という主役級のスターたちが競演した『怒り』が遂に9月17日より公開となった。このドリームキャストが実現したのは、『悪人』(15)を手がけた李相日監督や原作者の吉田修一、同作の川村元気プロデューサーという最強の布陣が、さらに高い志をもって挑んだ映画だからだ。そのチームの指揮官である李監督にインタビューし、脚本作りや豪華キャストとの撮影秘話について聞いた。
八王子の閑静な住宅地である夫婦が惨殺され、室内には血で書かれた『怒』の文字が残されていた。その後犯人は顔を整形し、社会に紛れ込んで生きているという。千葉・東京・沖縄で、犯人ではないかと疑われる3人の男が浮上し、3人を取り巻く周りの人々の心が激しく揺さぶられていく。
吉田修一から全幅の信頼を受けている李監督は、脚本を手掛けるうえで3つのエピソードを均等にすることを心がけたと言う。「3つがすべて浮き上がるような完璧なバランスの物語を目指しました。停滞感がないようにしないとバランスが崩れてしまうので、映画で新たに生み出した部分もあります。それは小説に書かれてはいないけど、あくまでも小説の延長線上にあるものでした」。
3か所の土地で同時進行していく物語を1本の映画にまとめ上げるのは至難の業だったはずだ。「最初は1本1本の物語を精査してどこが必要なのかと考えました。そして早い段階から1つに合わせていきましたが、ちょっとしたバランスで全体が崩れてしまい、もう1回振り出しに戻るという繰り返しでした。実際に俳優が動いてみないとわからない部分もあったので、芝居に幅をもたせ、のりしろを少し多めに書いていった気がします」。
犯人だと疑われる3人の男たちを演じるのが森山未來、松山ケンイチ、綾野剛だ。それぞれのモンタージュ写真によるミスリードも効いて、最後まで予断を許さない 。「3人の内、誰が犯人なのかという謎が話の原動力になります。でもこの話が面白いところは、3人を疑ってしまう人たちの心情です。彼らが疑ってしまうことに説得力をもたせる材料の1つがモンタージュ写真だったので、しっかりと作り込みました」。
モンタージュ写真は4回ほど劇中で登場し、観るものを惑わせる。「あまり詳細には言えませんが、それぞれの場所で出てくるモンタージュ写真は微妙に違うんです。森山くん、松山くん、綾野くん3人の要素を細かく足し引きしながら、複数用意しました。疑ってしまう人の目にはどう映るのか……。一度芽生えた疑念が、心境に応じてその人にしか見えなくさせていくよう心がけました」。
豪華な布陣のなかで要となったのが、『許されざる者』(13)でも主演を務めた渡辺謙。渡辺はスタッフやキャスト陣を陰ながらサポートする役割も務めてくれたと監督は言う。「そういうポジションに立つ人は、こちらが求めてなってくれるわけではなく、なる人がなるんです。今回の組で言えば謙さんでしょう。俳優さんの特性はそれぞれ違い、良い悪いの話ではなく、自分のことでいっぱいいっぱいになることもある。謙さんは全体を見渡して周りのケアもしつつ自分の芝居もできるという視野の広い人です。今回直接関わったのはあおいちゃんと松山くんですが、結果的に3カ所全ての登場人物たちの思いを受け止めるような役割を担ってくれました」。
原作者の吉田修一が「意外なキャスティングだったが素晴らしかった」と言っていたのが宮崎あおいである。演じたのは渡辺演じる洋平の娘で、原作では“ぽっちゃり型”の愛子役だ。「原作に縛られる必要はないけど、原作のイメージからいくと確かにあおいちゃんは浮かびません。でも根っこの部分ではつながっているんです。心の核に透明感を持ち続ける希有な存在ですから。迷いなく彼女に懸けたんです」。
宮崎は「こういう役柄をオファーされたことはこれまで一度もなかったです」と驚きつつも初の李組に飛び込んだ。李監督は撮影前に努めて宮崎とのコミュニケーションを取っていったそうだ。「人はそう簡単に心を開いたりしませんからね。愛子役が宮崎さんの技術だけで成り立つとは思っていなかったので、心に留め金をせずに見せて欲しいと伝えていきました」。
当時、宮崎はNHK連続テレビ小説「あさが来た」を大阪のスタジオで撮っていたが、李監督はそこも訪れ、いろいろと話し込んでいったそうだ。「自分がもっている部分はすべて伝えるけど、きっと役者さんにはもっと上のものがあると思うんです。僕はそれがあると思っている人に声をかけているので。お互いが一歩踏み込んでいくことでしか始まりませんから」【取材・文/山崎伸子】
※後編に続く