【シッチェス・カタロニア国際映画祭】スーパーパワーを身に付けた魔女は怖くなくなる シッチェス国際ファンタスティック映画祭で『ブレア・ウィッチ』を見て
怪獣でも魔女でも人間がギリギリ倒せるか倒せないか、というところにサスペンスが生まれる。「倒す」というのは、相手が怨霊など不死身であれば「供養」とか、あるいは呪われた場所からの「脱出成功」も含む。
もちろん、ホラーの場合はハッピーエンドの必要はなく、最後は人間が敗れて悪が勝つ、という結末もありである。しかし、そこまでのプロセスはドキドキさせてもらわないと困る。要は、人間が知恵を絞り協力し合い運の助けも借りて、退治できるかできないかという均衡したパワーバランスがドキドキを生むのであり、どっちかが圧倒的に強いと興醒めなのだ。
前作『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』(99)では消息を絶った学生たちのフィルムが発見されたという設定なので、彼らは邪悪な何かに殺されたんだろうな、と想像が付いた。だが、そのどんな邪悪なものが何かは最後までわからない。魔女なのか、森に潜む殺人者なのか。そこにギリギリの攻防の余地が生まれていた。
学生の方は3人で敵はどうやら1人らしい。テントを揺らしたり奇声を発したり人形を吊るしたり石積みを置いたり、と揺さぶりはかけてくるものの、暴力的な実力行使は控えている。しかし、学生側が仲違いして地図を失くし道に迷ってと疲労していき、徐々にパワーバランスが崩れていく……。
前作は得体の知れぬ敵によって人間が心理的に追い込まれていくプロセスがよく描けていた。そこがリアルだから、学生たちが手持ちカメラで撮影したドキュメンタリー、という設定を素直に受け入れられ恐怖を共感することができたのだ。
ところが、17年ぶりの正統な続編『ブレア・ウィッチ』(12月1日公開)は違う。
最初から敵が圧倒的に強くて、雷は落とすわ大木は倒すわテントや人を吹き飛ばすわのスーパーパワーを披露。あろうことか太陽を昇らせないでずっと夜にしたりする(前作では、恐怖の夜と安堵の朝が良いメリハリになっていたが)。
敵はどう考えても人間ではなく魔女。それもスーパー超能力の魔女である。これではドローン、ヘッドセットカメラ、GPSと最新装備の若者たちでも勝ち目はゼロ。森からの脱出も100%不可能である。しかも、彼らの知性の方も「恥ずかしいから」とわざわざ仲間から離れて用を足しに行ったりと、魔女に一矢報えるほど高くないことはすぐにわかる。
よって、魔女の全戦全勝となるのだが、そんなに力の差があるのになぜ全員を即座に抹殺せず、一人ひとり怖がらせてから殺すのかがわからない。もっとも、それでは映画が30分で終ってしまうが……。【取材・文/木村浩嗣】