ワーテルロー(1970):映画作品情報・あらすじ・評価|MOVIE WALKER PRESS 映画
ワーテルロー(1970)
ワーテルロー(1970)
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ワーテルロー(1970)

1970年12月19日公開、戦争
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英雄ナポレオンと智将ウェリントンがヨーロッパの運命をかけて、ワーテルローの地で激突した戦いを描く。製作は「さよならを言わないで」のディノ・デ・ラウレンティス、監督は「戦争と平和」のセルゲイ・ボンダルチュク、脚本はボンダルチュクとH・A・L・クレイグとヴィットリオ・ボニチェリ、撮影は「天使の詩」のアルマンド・ナンヌッツィ、音楽はニーノ・ロータ、編集はE・V・ミチャロバと国際色豊かなスタッフ。出演は「軍曹」のロッド・スタイガー、「空軍大戦略」のクリストファー・プラマー、「わが命つきるとも」以来のオーソン・ウェルズその他ヴァージニア・マッケナ、ジャック・ホーキンス、ダン・オハーリーなど。テクニカラー、70ミリ。

ストーリー

フランス全土はナポレオン(ロッド・スタイガー)がエルバ島から脱出した事を知り興奮にわきかえっていた。南仏に上陸したナポレオンは護衛兵を従えパリに向かった。パリのルイ十八世(オーソン・ウェルズ)は、かつてナポレオンの将校だったネイ将軍(ダン・オハーリー)を派遣し、進撃を阻止しようとしたが兵隊はナポレオンを見ると銃を投げだし、歓声をあげて彼のまわりにむらがった。ルイ十八世軍と一度も戦火を交えず凱旋した彼は民衆の熱狂的歓迎を受け再びフランスの皇帝になり、ルイ十八世はなすすべもなく王宮を渡した。しかし、英、仏、オーストリア、プロシャの各国は、今度こそナポレオンを徹底的に駆逐しようと、軍備を強化していた。英国のウェリントン卿(クリストファー・プラマー)軍、プロシャ軍等は既にベルギーのワーテルローへ移動していた。これを知ったナポレオンも軍を率いてワーテルローに向った。その日、ウェリントンはブリュッセルのリッチモンド侯爵夫人(ヴァージニア・マッケナ)の舞踏会でナポレオン進撃のニュースを受け、すぐ前線に戻り、戦いに備える事になった。そして、数日降り続いた雨もやんだ一八一五年六月十五日ナポレオン軍、連合側、合わせて約十五万の軍勢がワーテルローに結集し、両雄の生涯をかけ十時間を越える大激戦が開始されたのである。後年、ウェリントンはこの戦いについて、「もし私がイベリア半島戦後の武将と共にあったら、私はクアトル・ブラスで戦っていただろう」と言っている。その地で戦いの火蓋はきられた。ワーテルローから南八マイルの地点である。ここでウェリントン軍はネイ将軍率いる軍隊を破り、士気は上がった。だが、六月十七日朝、ウェリントンは作戦変更の通知を受けた。南東のリグヌでプロシャ軍が大敗したというのだ。それで彼の軍は北方に移動し、ワーテルローに向った。その地はウェリントンの戦闘計画にはない地点であり、戦いに良い地形とはいえなかった。夜に合流する予定のプロシャ軍とそれを阻止しようというナポレオンの意図はウェリントンに運がついた。ウェリントン軍総勢六七万人、ナポレオン軍六八万人。ウェリントン軍の半分は訓練されていない兵士だった。戦いの前にナポレオンは「ウェリントンは無能な将軍で軍隊もなってないから、朝メシ前の戦いだ」と言った。が、六月十八日午前十一時に砲火の口火が切られてからは昼メシも危くなった。お互の要塞の攻撃、歩兵戦、騎兵戦と続いた。午後六時になっても決着はつかなかった。双方の犠牲者は果てしなかった。午後七時ナポレオンは最後の手をうって総攻撃をかけ、対応してウェリントンもむかえ撃った。戦いは十時間余に及び、仏軍は敗退した。ウェリントンはこの戦いについて、こう言った。「多数の兵を失った事に次いで悲惨なことはこのような勝利を得ることである」。この戦いにナポレオン軍の死者三万以上、英軍死者一・五万、プロシャ軍七千人以上で傷ついた者は数知れなかった。ナポレオンは、プロシャ軍に、捕まりそうになったが、パリに逃亡、その後セント・ヘレナ島に流された。ウェリントンは言った「この戦いが終り、世界の平和が来た。これは、歴史上のどんな戦いよりも重要な戦いであった」。

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作品データ

原題
Waterloo
製作年
1970年
製作国
イタリア ソ連
配給
コロムビア
初公開日
1970年12月19日
製作会社
ディノ・デ・ラウレンティス・プロ=モス・フィルム
ジャンル
戦争


[c]キネマ旬報社