フランソワ・ルテリエ
Lieutenant Fontaine
フランスのアンリ・ドヴィニ大佐の手記に基き、我が国初登場のロベール・ブレッソンが脚本を書き、自ら監督した異常な物語。ドイツのゲシュタポに捕えられ、死刑の宣告を受けたフランス軍人がモントリュック監獄から脱獄する経過を、記録映画的にレジスタンス精神をこめて描き出す。監督のブレッソンは一九〇七年生れ、一九五〇年に監督したベルナノス原作「田舎司祭の日記」は、五〇年度ルイ・デリュック賞、五一年フランス映画大賞、五一年ヴェニス映画祭・国際賞およびイタリア批評家賞などを受けている。撮影は「わが青春のマリアンヌ」のルイ・アンリ・ビュレル。主演のフランソワ・ルテリエは無名の二十七歳になる哲学科の学生で、その他シャルル・ルクランシュ、モーリス・ビーアブロック、ローラン・モノなど著名な新聞記者、劇評家、装飾家といった人々である。
一九四三年独軍占領下のリヨン。レジスタンス派のフォンテーヌ中尉(フランソワ・ルテリエ)はドイツ軍にとらえられ、拷問された上モントリュックの監獄に投げ込まれた。独房で死刑の判決をまつうち、彼は脱出することに全力をつくす。まずスプーンをといでナイフをつくり、何日もかかって扉のハメ板を外す。ベッドの毛布を裂いて綱をつくる。朝の洗面のとき、収容者同士は秘かに連絡をとるが、脱出はすこぶる困難だ。フォンテーヌの勇気と強い意志は、次第に人々を動かして行く。ところが、十六歳のドイツ軍の服を着た脱走兵が彼の同室に投げ込まれる。はじめは自分を監視するおとりだと思うが、遂に意を決して、この少年にも脱走計画をもらし協力をたのんだ。いよいよ決行の夜、二人は扉をあけて屋根の上によじ登る。綱をつたって中庭に降り、警察のドイツ兵を殺して壁をこえる。おそらく、一人だったらこの壁をこえることはできなかったろう。壁の外には外庭があって、再び第二の壁がある。壁の外には、衛兵が自転車で巡回していた。この眼をかすめるために、二人は外壁との間に綱をわたし、空中をつたって外へ出る。こうして、綿密な計画と、忍耐と、勇気をもって行われたフォンテーヌの脱出は、厳重な計画を突破して成功した。
Lieutenant Fontaine
Jost
Blanchet
Father of Leiris
Orsini
Hebrard
Terry
Prisoner 110