せんせい(1983):映画作品情報・あらすじ・評価|MOVIE WALKER PRESS 映画
せんせい(1983)
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せんせい(1983)

1983年8月24日公開、103分
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昭和二十年八月九日、長崎に投下された原爆を入市被爆し、急性骨髄性白血病により三十二歳でこの世を去った、元長崎市立山里小学校教論山口竹子さんと子供たちのふれあいを描く。坂口便・平和教育資料編集委員会編による原作『夾竹桃の花咲くたびに』の映画化で、脚本は関功、監督は「青葉学園物語」の大澤豊、撮影は山本駿がそれぞれ担当。

ストーリー

一九七二年三月。小峰信彦と悦子の兄妹は、母を病気で失い、父が大阪に働きに行くことになったため、長崎の祖母に預けられることになり、五島から長崎に向う連絡船の上にいた。泣きじゃくる悦子の顔を一人の女性がハンカチでふくが、兄妹は、その人が黒の皮ジャンで暴走族のような格好なので、こわくなって逃げだしてしまう。信彦、悦子にとって、新しい土地での新学期が始まる。信彦はガキ大将の徹や子分の哲男と親しくなるが、驚いたことに、担任の先生があの暴走族みたいだった女性である。その山口竹子先生は、バイクのうしろに生徒を乗せて家庭訪問に行ったり、体育の授業ではドッジボールに夢中になったりで、すぐに子どもたちに好かれていく。そんな元気な竹子先生が倒れてしまい、精密検査を受けるために入院することになった。子供たちは竹子先生の退院を心待ちにするが、先生の体は少しずつ蝕まれていた。ある日、子どもたちが竹子先生を見舞いに行くと、先生は稲佐山へ登ろうと言いだす。稲佐山の展望台に登った竹子先生は、子どもたちを集め、爆心地あたりを指し、あの日の長崎を語り始めた。「昭和二十年八月九日、午前十一時二分、上空で原子爆弾がさく裂し……」。実は竹子先生も、あの日、母と妹と一緒に爆心地附近を通りぬけた一人だった。日が経つにつれ病状は悪化、腕の紫斑に気づいた竹子先生は、白血病ではないかと田浦医師に相談をする。信彦や悦子が病室を訪れたとき、竹子先生は衰弱がひどく、紫斑で汚れた先生の顔をハンカチでゴシゴシとふく悦子の目には涙が溢れていた。「あなたたちに残していけるのは、この姿の記憶しかない。原爆は今でも生きているの」と最後の言葉を残し、竹子先生は苦しそうに喘ぎながら息をひきとった。それから十年後。信彦、徹、哲男も成長し、竹子先生の描いていた祈る少女の画をのせた精霊船を、夕陽が沈んでいく海に流した。竹子先生の墓は、先生が好きだった海の見える高台にある。近くで、夾竹桃の真赤な花が風にゆれている。

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作品データ

原題
Our Teacher
製作年
1983年
製作国
日本
配給
その他
初公開日
1983年8月24日
上映時間
103分
製作会社
映像企画


[c]キネマ旬報社