加藤剛
杉本芳明
転勤の多い燈台守一家の生活を13年にわたって描く。原作・脚本・監督は「この子を残して」の木下恵介、撮影は「泰造」の岡崎宏三がそれぞれ担当。主題歌は、加藤登紀子(「海辺の旅」)。
昭和48年春、丹後半島の若狭湾口にある経ケ岬灯台では、裸豆石廓崎灯台への転勤を控えた藤田芳明の送別会が行なわれていた。妻、朝子、子供たち、部下の長尾猛、海上保安学校を卒業したばかりの大門敬二郎も揃い、和やかな集いだった。引越を教日後に控え慌しい一家のもとに、芳明の父、邦夫が山梨から訪ねて来た。邦夫は芳明の赴任地へやって来ては、その地方の名所や寺院を見物し記念写真におさめるのを楽しみにしている。邦夫は伊豆まで同行したいと言いだし、このため朝子と子供たちは新幹線を利用し、芳明は邦夫と見物かたがた車で行くことになった。二人は小浜の明通寺で一人旅の若い娘、北見由起子と知り合い、彼女も伊豆まで同行したいと告げる。2年後、石廓崎を邦夫と共に再訪した由起子は、一人旅の時、失恋し、両親にも裏切られ自殺を考えていたが、邦夫と芳明に出会い思いとどまったと告白した。そして、灯台で働く人と結婚したいと言いだした。芳明夫婦は長尾がお嫁さんを探していることを思い出した。四国と九州を分ける豊後水道の水ノ子島灯台で働く長尾を由起子が突然訪ねた。長尾は一目逢って由起子の美しさに魅かれるが、自分には不釣合いだと結婚は躊躇した。その秋、水ノ子島灯台は強烈な台風の直撃を受けた。生死を賭けた台中風とのい闘ので長尾は由起子との結婚を決意する。55年夏、芳明は八丈島灯台に勤務。子供たちも成長し、長女、雅子は東京の短大に入学、二人の息子も英輔16歳、健三11歳になっていた。帰省した雅子に訪ねて来た邦夫、海上保安庁の飛行士になった大門もやって来て、官舎は久しぶりに賑やかだった。だが72歳になる邦夫は、高血圧のうえ長い船旅で疲れて寝込んでしまう。その夜、妻と離婚し、養子の身から杉本姓に戻った邦夫を引きとりたいと、芳明は朝子に打ちあけた。朝子は快くその提案を受け邦夫に伝えた。翌年、芳明は函館航路標識事務所の課長を命じられ、一家は転居した。八丈島に残してきた高校三年の英輔から手紙が来て、来春、保安大学を受験したいと言ってきた。翌年、函館の教会で雅子と大門が結婚式を挙げた。2年後、呉の海上保安大学に通う英輔を由起子が訪ねた。由起子は長崎県福江島へ所長として栄転の決まった芳明とその家族、大門夫妻、英輔、自分たちが中継地である広島に集まって歓送会をしようと提案した。料理屋に集まった一同は、楽しい時を過ごし想い出を語り合った。翌朝、長尾と芳明は保安庁の見回り船に邦夫を乗せた。日本三景のうち安芸の宮島だけを見残している邦夫への一同の心のこもった計らいである。それから2年後、邦夫は逝った。健三は邦夫の遺言どおり、彼のアルバムを燃やしはじめるが思いとどまった。61年5月、東京湾で海上保安庁の観閲式が行なわれ、バンクーバーに出発する英輔の門出を見送る芳明と朝子の姿があった。
杉本芳明
杉本朝子
杉本雅子
杉本英輔
杉本健三
杉本邦夫
長尾猛
長尾由起子
大門敬二郎
海上保安庁長官
経ケ岬の所長
経ケ岬の所長・妻
佐伯の小松次長
佐伯の小松次長・妻
佐伯の所長
八丈島の所長
監督、脚本、原作
製作
製作
製作
撮影
音楽
美術
編集
照明
録音
録音
助監督
プロデューサー
主題歌
スチール
プロダクション・コンサルタント
[c]キネマ旬報社