初代松本白鸚
大石内蔵助
「如何なる星の下に」の八住利雄のオリジナル・シナリオを、「どぶろくの辰(1962)」の稲垣浩が監督。撮影もコンビの山田一夫。東宝創立30周年記念映画、昭和37年度芸術祭参加作品。
◇花の巻--元禄十四年春三月、年々の慣例として勅使饗応の役を申し渡された播州赤穂の城主浅野内匠頭は、指南役吉良上野介から礼儀作法について教えをこうことになった。が、上野介は意味もなく内匠頭を嘲笑した。饗応の儀もあと一日という御勅答御儀の日であった。それまで抑えに抑えていた正義の剣は、殿中松の廊下で振りおろされた。内匠頭は即日切腹。早打駕篭は嵐をついて赤穂へ。赤穂城内では、大石内蔵助を中心に、城と共に討ち死にするか、城を明け渡すか議論が続いた。内蔵助は熟考の末、城を明け渡す断を下し、人数六十余名、誓紙血判をもって従った。山科の閑居に移った内蔵助は、廓遊びに明け暮れた。一方吉良家では用心棒を集めていた。廓遊びに耽る内蔵助は、妻りくを離縁した。母を見送る主税の顔にも、内蔵助の顔にも一筋の涙が光った。 ◇雪の巻--吉良上野介は、本所に新居を構えた。名を変え、職を変え江戸に住みついた赤穂浪人たちは、成就早かれと待機していた。俵星玄蕃が吉良家の用心棒になったという噂に堀部安兵衛は、酩酊した玄蕃を襲った。そしてからから笑う玄蕃にその本心を知った。お茶会の当日、赤穂浪人はそば屋の二階に集合した。二百名を数えた人数も今は数十名しかいない。深々と降り続いた雪は、深夜を真白に染めて吉良邸への道を照していた。総勢四十六名は死装束に身を固めて、表門、裏門から討ち入った。内蔵助の槍先には、この日を待たず武士の義に散った萱野三平の名札がしっかり結びつけられていた。門前には赤穂浪人遺言状と書かれた遺書が雪の中に立てられてあった。槍を片手に駈けつけた俵星玄蕃は、浪士の本懐を祈りながら、寄せ手を一歩も通さじと、宝蔵院流の槍をかまえた。
大石内蔵助
浅野内匠頭
堀部安兵衛
高田郡兵衛
岡野金右衛門
不破数右衛門
大石松之丞
萱野三平
矢頭右衛門七
寺坂吉右衛門
吉田忠左衛門
吉良上野介
千坂兵部
脇坂淡路守
土屋主税
本陣主人・半兵衛
大工平五郎
俵星玄蕃
大石妻・りく
内匠頭妻・瑶泉院
浮雲太夫
吉右衛門妹お軽
平五郎妹お艶
水茶屋の女お文
半兵衛女房お時
上野介妻・富子
戸田の局
潮田の妹佐保
御湯番おきよ
吉良の間者うめ
瑶泉院侍女みゆき
久兵衛女房おとみ
居酒屋の女お玉
長屋の女房お筆
笹屋内儀お京
多門伝八郎
伊達左京亮
浅野大学
上杉綱憲
岡島八十右衛門
大高源吾
武林唯七
潮田又之丞
間十次郎
早水藤左衛門
片岡源吾右衛門
堀部弥兵衛
大野九郎兵衛
原惣右衛門
藤井又左衛門
間瀬久太夫
将軍徳川綱吉
柳沢出羽守
吉良家用人松原多仲
薩州浪人村上鬼剣
清水一角
小林平八郎
和久半太夫
上杉の間者貴島主水
浪人貝塚三郎次
興津宿役人荒賀源助
畳屋音吉
楠屋久兵衛
植木屋徳三
平五郎叔父松右衛門
梶川与惣兵衛
野郎芸者利兵衛
平五郎従弟のん太
平五郎従弟の伝八
浅野家老安井彦右衛門
院使清閑寺中納言
勅使柳原大納言
勅使高野中納言
本陣番頭利七
大石瀬左衛門
神崎与五郎
近松勘六
監督、製作
脚本
製作
製作
撮影
音楽
美術
美術監督
編集
照明
録音
合成
B班監督
助監督
助監督
製作担当者
整音
殺陣
振付
スチル
[c]キネマ旬報社