灰地順
男
新人森弘太が製作・脚本・監督を担当して自主製作をし、広島を素材としたセミ・ドキュメンタリー・タッチの社会ドラマである。撮影は「日本春歌考」の高田昭。
戦争が終ってからすでに二十年の歳月が流れていた。一人の男と女が、原爆の落された広島に友人を訪ねた。二人はそこで、被爆後行方不明になったその友人の兄が、実は生きているのではないかという手紙に接し、差出人を探しはじめた。真夏の陽光の下に、広島はけだるい雰囲気につつまれていたが、この街にある奇妙な形をした相生橋、太田川べりの被爆者集落を見、被爆者の話を聞いた二人は時間を逆行して、あたかも二十年前に辿りついたような錯覚に陥った。他人の視線に屈辱を感じながら入院させて貰うために病状の悪化を願う青年、被爆直後にまだ息のある人を助けてその肉親から謝礼を取っていたという男、ケロイドはなくなったが、いつか再発すると信じている少女、それらの人々は二人に、二十年の歳月が無意味に過ぎていたことを知らせた。やがて二人は、みすぼらしい相生集落で、友人の兄の消息を知る男を探しあてた。白血病から転移した肺癌のために苦痛にうめくその男を前にした二人に医者は「君らはやっと探しあてたつもりなんだろうが、この男は何も知っちゃいない……原爆病にかかったことを恥として健康な人間を憎み、また自分で自分自身を憎みきるこの男は、君たちによってそういう人間にされたのだ……」と言った。二人はその言葉に大きな衝撃を受け、逃げるように東京に帰った。男の脳裡には、かつて安保闘争の挫折と、その直後に突然姿を消したある友人を思い浮べた。広島でみた悲惨な現実にひかれて男は再びそこを訪れた。彼は夜の平和公園で自殺しようとしていた老人を助けたが、老人は「ピカがもう一度落ちればいい」と吐きすてるように言った。それは原爆のために人生を失った人間の言葉だった。男は被爆者をいわば強制疎外者、あるいは被差別民に陥れた体制者、繁栄を誇る広島住民、それに一般の日本人の冷酷さに怒りを覚えるとともに、自分もこの二十年間、彼らと同一の人間であったことを知って慄然とするのだった。
[c]キネマ旬報社