辰巳柳太郎
宮本武蔵
新国劇の剣優島田正吾と辰巳柳太郎との銀幕での初の顔合せで、製作は「丹下左膳(1952)」の小倉浩一郎。「美女と盗賊」の八木隆一郎と「月形半平太(1952)」の鈴木兵吾とが共同で脚本を書き「弥太郎笠(1952)」のマキノ雅弘が監督している。撮影は「月形半平太(1952)」の片岡清。出演は主なものは、新国劇の島田正吾と辰巳柳太郎、「丹下左膳(1952)」の淡島千景、「牛若丸」の桂木洋子その他の助演陣である。
長刀を差し、試合を求めて諸国を歩く佐々木小次郎の名が次第に知られて来たとき、小倉藩士岩間角兵衛の紹介で、小次郎は細川三斉公に召かかえられることになった。しかしこの時、長岡佐渡の申し出により、宮本武蔵と試合に勝った上で、希望通り正式に師範番とするとの約束が成立した。それ迄は仮禄五百石であった。武蔵が京都にいるとのことで、小次郎は京へさして旅に出たが、途中武蔵を仇とねらう篠という女と道ずれになった。京へ来た小次郎は策を弄してまず吉岡道場をたきつけ、二代清十郎に武蔵との試合を申込ませた。蓮台野に於けるこの試合はもちろん武蔵の勝であった。この場には小次郎も篠も居合せた。篠は「父の仇」と武蔵に懐剣で突いてかかったが失敗した。けれど、篠はこの時から武蔵の人間的な魅力にひかれるようになった。吉岡道場では更に三代伝七郎が試合を申込み、これが敗れると、十二歳の四代叉七郎を立てて来た。武蔵は吉岡家の早坂三弥太のたのみをきいて当日吉岡家の断絶を救うため、試合に手心を加える約束をするが、当日になって見ると、吉岡方では矢を使い、第一軍、第二軍と武蔵に殺到して来たので、武蔵も奮然と彼等を薙ぎ倒して叉七郎に斬り込まずにはいられなかった。こうしたことの裏で糸を引く小次郎は、武蔵の悪名が高くなり、強いことが世に知られるほど、自分が武蔵に勝ったときの箔がつくと、ひそかによろこんでいた。遂に船島に於ける武蔵との対決になったとき、小次郎はこの勝負に岩間の娘照世と三斉公よりの八百石をかけていたが、武蔵は剣への道を究めんとしていた。そして当日となり小次郎は、彼を想いながら自害した八雲太夫の予言通り、船島に於て武蔵に敗れて、果てたのだった。
宮本武蔵
佐々木小次郎
八雲太夫
万九郎
細川三斉
長岡佐渡
岩間角兵衛
時田安之丞
岳雲和尚
陶工仁兵衛
早坂三弥太
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