鯨と斗う男
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鯨と斗う男

1957年7月9日公開、79分
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田畑喜作の原案から、「日米花嫁花婿入替取替合戦」の岡田豊が脚本を執筆し、「無敵社員」の津田不二夫が監督、同じく星島一郎が撮影した。主な出演者は、「多情仏心」の佐野周二、「日清戦争風雲秘話 霧の街」の高倉健、小宮光江、「さよなら港」の月丘千秋。ほかに、花澤徳衛、山本麟一、坂本武、ディック・ミネ、岡田敏子など。

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ストーリー

捕鯨船隼丸の船長権堂は人々から鬼と恐れられていた。それは、無慈悲なまでの部下の仕込み方と、鯨をみつけたら最後、どんな無謀な手段をも選ばぬ人柄が人々の反感を呼んで生れた言葉なのである。しかし、銛砲を前にしては彼の右に出る者はなかった。そこへ新進気鋭の銛打ち山上洋介が転任して来た。死んだ洋介の兄は、もと権堂の下に働く有能な銛打ちであった。権堂の酷使がその死因だ、と噂されていた。洋介は快天丸に配属された。洋上に鯨を求めて、権堂の隼丸と洋介の快天丸とは、海原に死闘を繰り展げた。しかし隼丸の仁義を弁えぬやり方に、快天丸の乗組員は憤満を押え切れずにいた。その上、度重なる権堂の横車に、遂に乗組員たちは洋介を先頭に権堂を取巻いた。権堂と洋介との大格闘。しかし流石の権堂も多勢には抗し難く、みんなにのされてしまった。ベッドに傷つき横たわる彼を、酒場カモメ亭の女給ユキが慰めた。彼女は、心の中では洋介を慕っていたが、この権堂に対しても、父に対するような好意を寄せていたのである。そして、彼女は洋介に権堂の秘密を打明けた。権堂は、盲腸炎の手遅れから若くして死んだ洋介の兄を今でも惜しんで、船室のロッカーの中に仏壇をしつらえ、その上遺族にも仕送りを欠かさずつづけていたのであった。権堂の心の温さに触れた洋介は、心の打ちとけるのを感じた。--権堂の計いで、洋介とユキの間も、お互いに心が通うようになった。権堂をしのぐ銛打ちに、と今日も洋介は快天丸の銛砲をかまえ鯨を追う。その海原の彼方には、これも鯨を迫いつづける権堂の隼丸の姿がみられた。

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作品データ

製作年
1957年
製作国
日本
初公開日
1957年7月9日
上映時間
79分
製作会社
東映東京


[c]キネマ旬報社