愛情の旋風:映画作品情報・あらすじ・評価|MOVIE WALKER PRESS 映画
愛情の旋風
愛情の旋風
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愛情の旋風

1951年2月11日公開、91分
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中村八朗の原作小説「桑門の街」より、陶山鉄が脚色、「大学の虎」の岩間鶴夫が監督している。製作は「とんぼ返り道中」の石田清吉。出演者の主なる者は「カルメン故郷に帰る」の佐野周二、「おぼろ駕篭」の佐田啓二、折原啓子、それに「七色の花」の杉村春子と花柳小菊など。

ストーリー

松山裕天は桑門の街、長野の善光寺の末寺西方院の次男であったが、復員して帰って見ると兄の順天が戦死していたため、家門を何よりも大切に思う母や親類たちのとりきめで、いや応なし住職を継がされ、嫂を自分の妻に直された。裕天はこの押しつけがましい周囲の処置に反感を抱いて夜ごと町のいかがわしい地域へ足をふみ入れ、酒に酔いしれていた。しかも嫂英子は、裕天に冷たくあしらわれればあしらわれるほどまめまめしく仕えて、よけい裕天をいら立たせた。ある夜飲み屋で、土地の顔役松井組の吉川に裕天はなぐられ、それが縁で、戦前この土地の顔役の息子増内桂助と知り合った。桂助は善光寺境内で玩具売をしていたが、父のあとをついだ兄の兵六は、新興の松井組に押されてしまっていた。そうした間に、裕天は勤番の夜、本堂で幼馴染みの連池坊主徳田玄成と議論の末乱闘になったことから大僧正の怒りにふれ、玄成と共に幽門を申しつけられ禁足を命じられた。しかし裕天の夜の外出は止まず、本堂へ提出する写経は英子がひそかに代わって果たしていたので、それでも無事禁足を解かれる日が来た。玄成とも和解の記念に、裕天は又しても飲みに出かけ、折から来合わせた桂助とも、少しは坊主らしくなろうと思うと気嫌よく話していた折から松井組の連中が桂助を表へ連れだしたので、人々のとめるのもきかず裕天はまたしても乱闘の中へ飛び込んで行って負傷をした。英子の甲斐々々しい看病で傷は癒えたが、松山一家は西方院を追われて、地方の名もない寺へ移ることになった。しかし、裕天はじめ一家の人々の顔はこれまでになく明るかった。

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作品データ

製作年
1951年
製作国
日本
配給
松竹
初公開日
1951年2月11日
上映時間
91分
製作会社
松竹・京都


[c]キネマ旬報社