日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声(1950)|MOVIE WALKER PRESS
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日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声(1950)
日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声(1950)

日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声(1950)

1950年6月15日公開,109分
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東大出身の戦没学生の手紙や手記を集めて出版された「きけわだつみの声 日本戦歿学生の手記」を元に、関川秀雄監督が反戦の想いを描いた戦争ドラマ。戦争に巻き込まれて散っていった若者たちの反戦に対する真摯な訴えが痛烈に映し出される。

作品データ

原題
Intolerable
製作年
1950年
製作国
日本
配給
東映
上映時間
109分

[c]キネマ旬報社

  • やまひで
    やまひで
    4.0
    2020/9/21

    「死んだ人々は、還ってこない以上、生き残った人々は何が判ればいい?」

     これは、本作の冒頭に流れる3つの言葉の内の第一文である。 如何にも翻訳調であるが、実際この文は、フランスの対独レジスタンスで地下活動した詩人ジャン・タルデュー(Jean Tardieu)の、1943年7月14日の革命記念日に発表された詩である。この詩を、フランス文学者渡邊一夫が、本映画の原作となる『きけ わだつみのこえ』(1949年発刊)のために邦訳していた。

    この渡辺一夫、経歴が本作に登場する、東大仏文助教授大木二等兵に似ている。渡辺も、1925年に大学卒業した後、フランス留学、教員生活を経て、1940年東京帝国大学文学部講師に、そして、42年助教授となる。大木もまた、作中、東大仏文科の学徒出陣で出征する学生のための最後の講読の時間に、あの『随想録』で有名なフランス16世紀のモンテーニュを扱う。上官にその知性を侮辱されるように非人間的に扱われている最中、大木二等兵の回想として作中に出てくるこの講読の場面は、意外と長く、これがラストシーンのメッセージに繋がる。さて、筆者は映画の冒頭の3つの質問にどう答えるか。 そして、読者なら、この質問に如何にお答えになるだろうか。
    1.「死んだ人々は、還ってこない以上、生き残った人々は何が判ればいい?」
    - 戦争とは無残であると!
    2.「死んだ人々には、慨く術もない以上、生き残った人々は誰のこと、何を、慨いたらいい?」
    - 無謀な作戦における英霊の死が無意味であることを!
    3.「死んだ人々は、もはや黙ってはいられぬ以上、生き残った人々は沈黙を守るべきなのか?」
    - 否!生き残った者は、無謀な作戦を立てた者、更には、戦争を始めた者の罪を告発すべきである。

    正に、本作で取り扱われている、太平洋戦争中、最も無謀だったと言われる作戦、インド・インパール(Imphal)作戦を計画した、皇軍、すめらぎの軍隊の陸軍上層部の無責任さは糾弾されるべきである。

    ビルマ駐屯の第15軍の司令官牟田口廉也中将は、数少ない兵站担当のベテラン将校だった、第15軍参謀長小畑信良少将を、作戦に反対するという理由から、一ヶ月半で更迭する。結局、3週間で終えるはずの作戦が、弾薬・糧食の補給のないまま、4ヶ月間に延び、約9万で出て行った第15軍中、約3万が戦死、約4万が戦病死・餓死で死亡して(「損耗率」75%以上!)、第15軍は壊走した。

    「銃剣がなくなれば、腕でいくんじゃ。腕もなくなったら足で蹴れ。足もやられたら口で噛みついて行け」という、皇道派精神主義者の牟田口は、インパール作戦敗北後さすがにすぐに本国に呼び戻されて予備役に退くものの、一ヶ月後には予科士官学校校長に就任し、戦後を迎える。しかし、牟田口の上司、ビルマ方面軍司令官河辺正三中将は、その後、大将に昇進して、航空総軍司令官に、南方軍総司令官寺内寿一元帥は、終戦まで現職に留任となり、作戦失敗の責任を誰も取らないという無責任体制がここに曝け出される。

    事が露見するのを恐れたのか、帝国陸軍史上初の抗命撤退事件を起こしたが、それでも軍法会議には掛けられなかった、第15軍隷下の第31師団長佐藤幸徳中将は喝破して言った。
    「大本営(陸軍部)、総軍(南方軍)、(ビルマ)方面軍、第十五軍という馬鹿の四乗が遂にインパールの悲劇を招来したのである。」

    「一将功成りて万骨枯る」、戦争とはそういうものである。では、万骨枯れて、一将、功成らなければ、どうなるのか。インパール作戦の日本軍の撤退路は「白骨街道」と呼ばれた。雨季になると、日本兵の屍体は、10日で白骨化したという。その白骨化した戦友が後続部隊の退路の目印になったという。合掌

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