マトリックス|MOVIE WALKER PRESS
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マトリックス

1999年9月11日公開,136分
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仮想現実空間を創造して世界を支配するコンピュータを相手に戦いを挑む男の死闘を描いたSFアクション。監督・脚本は「バウンド」のラリーとアンディのウォシャウスキー兄弟。製作は「リーサル・ウェポン4」のジョエル・シルヴァー。製作総指揮は「フェイス/オフ」のバリー・M・オズボーン、「ダーク・シティ」のアンドリュー・メイソン、「プラクティカル・マジック」のブルース・バーマン、「ディアボロス 悪魔の扉」のアーウィン・ストフ、ウォシャウスキー兄弟。撮影のビル・ポープ(「グリッドロック」)、音楽のドン・デイヴィス(「ロスト・イン・スペース」)、編集のザック・ステインバーグは「バウンド」に続く参加。美術はオーウェン・パターソン。衣裳は「ヘンリー五世」のキム・バレット。カンフー指導は「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ」シリーズ、「ブラック・マスク 黒侠」(監督も)など、香港武侠アクションの第一人者ユエン・ウーピン。出演は「ディアボロス」のキアヌ・リーヴス、「イベント・ホライゾン」のローレンス・フィッシュバーン、「サボタージュ」のキャリー=アン・モス、「プリシラ」のヒューゴ・ウィーヴィング、「バウンド」のジョー・パントリアーノほか。

予告編・関連動画

マトリックス

予告編

ストーリー

※結末の記載を含むものもあります。

近未来。コンピュータ・プログラマーのトーマス(キアヌ・リーヴス)は裏稼業ではネオと呼ばれる名うてのハッカーだったが、ある日、突然トリニティ(キャリー=アン・モス)と名乗る美女の接触を受け、彼女に導かれて、モーフィアス(ローレンス・フィッシュバーン)なる人物に会う。彼はトーマスが生きているこの世は、実はコンピュータが創造した仮想世界で、実際は彼らが造り出した巣の中で夢をみせられているだけだという恐るべき真実を告げる。トーマスことネオはコンピュータの支配を覆す救世主と目されて彼らの仲間に迎え入れられ、仮想空間でコンピュータと格闘できるだけの訓練を受けた。だが、モーフィアスに引き合わされた予言者(グロリア・フォスター)はネオに「あなたは救世主ではない」と告げた。ほどなく、コンピュータの手先であるエージェント・スミス(ヒューゴ・ウィーヴィング)に籠絡されたサイファー(ジョー・パントリアーノ)の裏切りで、仲間は次々に消され、モーフィアスは敵の手中におちる。ネオは自分は救世主ではないとトリニティに事実を告げながらも、モーフィアスを救出するため、エージェント・スミスらの元に彼女と共に乗り込む。見事モーフィアスを救出したネオだが、そこにエージェント・スミスが立ち塞がった。激闘の末、脱出のためにマンションの一室に逃げ込んだネオはスミスの銃弾の前にあえなく倒れる。だが、ここで奇跡が。予言者はトリニティに彼女が愛する者が救世主となると告げていたのだ。そして彼女はネオを愛するようになっていた。かくしてここにネオは救世主として再生し、スミスらを倒し、新たにコンピュータに戦いを挑んでいくのだった。

作品データ

原題
The Matrix
製作年
1999年
製作国
アメリカ
配給
ワーナー・ブラザース映画(製作協力*ヴィレッジ・ロードショー・ピクチャーズ=グルーチョ=・フィルム・パートナーシップ)
上映時間
136分

[c]キネマ旬報社

  • rikoriko2255

    3.0
    2018/8/31

    プログラマとして大手ソフトウェア会社に勤務するトーマスは、コンピューター犯罪を巻き起こす天才クラッカー、ネオという裏の顔を持っている。平凡な日々を送る彼は、目は覚めているが夢の中にいるような感覚に違和感を覚える。そんな彼のもとに「起きろ、ネオ」「マトリックスがみている」という不可解なメールが送られてくる。そして現れた謎の女性と彼女の仲間のモーフィアスによって、今生きている世界が仮想の現実であって、それはコンピューターによって操作されているということを知らされる。現実の世界で目を覚ますことを決意し、人類をコンピューターの支配から解き放す戦いに参加する。そもそもは人間に労働力として利用されてきたロボットが、あまりの酷使に耐え切れずに人間を殺し、恐怖を覚えた人間はロボットを次々と破壊し始め、ロボットは身を守るために人間と距離を置くようになる。しかし、執拗にロボットを追いかける人間。そこでロボットは逆襲のために、人類をコントロールし、ロボットのエネルギー源に使うという計画を立てる。人間をカプセルの中に閉じ込め、人間の精神のみを仮想の現実の世界で生かすことによって、ロボットのエネルギー源とする。その仮想の現実世界がマトリックス。そしてネオが、この機械と人間の戦いに必要な救世主として選ばれた。という筋書き。面白かった。ただのSFアクションかと思ってたけど哲学的な内容。

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  • rikoriko2255

    ミチさん

    4.0
    2009/7/4

    もともと『猿の惑星』や『惑星ソラリス』で映画の魅力に取り付かれた身としては、もちろん関心はあったのですが、何となく敬遠していました。
    ようやくTSUTAYA100選100円で観る機会を与えられ、感謝しております!!!
    さて、感想ですが、まず制作年の1999年にコンピュータや携帯電話がどういう状況にあったかと言うと、一応、Windows95が出てパソコン世代が始まったと言って良いでしょう。パソコンを含めたコンピュータ世界の大衆化が一挙に始まりました。携帯電話はもう少し後か。最初は自動車電話とポケベルとPHSだったかな。
    その状態でいわゆる「仮想社会」に切り込んで行った意義は買います。『ターミネーター』に見られる「機械と人間との戦争」という発想も昔からあったのでしょう。
    さて、実は「バーチャル・リアリティ」という問題は、昔から指摘されていたにも関わらず、最近はとんとご無沙汰していると思いませんか?やはり「バーチャル」と「リアル」の区別は付くだろう、という理解で落ち着いたのかなあ?
    むしろ問題になって来たのは「ネット社会」の方で、「いつでも・どこでも・誰にでも」簡単にもたらされるサービスの方が本当は怖い運命を引き起こすかもしれません。この点に切り込んだ作品はできないものか、映画関係者の奮闘努力に期待します。

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  • rikoriko2255

    やまひで

    4.0
    2007/12/11

     この映画がヴァーチャル・リアリティーの問題性を衝いて本格的に制作された作品としてSF映画史を飾るであろうことは明白であろう。古典がなければパロディーが存在しないのは当然である。これと同様に、現実がなければコンピュータで構成する現実に似せた世界も存在しえないはずである。ところが、この場合、コンピュータで構築された世界がそのものとして規範性を発揮し、それ自体として存在の有効性を主張すると、現実の「真実性」が吹っ飛び、現実と構成された虚構の世界の境界は押し流され、フィクションがリアリティーと同等の重みを得るわけである。このようなヴァーチャル・リアリティーの中では人間はその構築された「現実性」を信頼して生存を続ける。これを虚偽とするか、または、それなりの「真実」としてこれを甘んじるかは基本的には殆ど趣味の世界の好みの違いとでも言えるのである。本編の裏切り者となるサイファーが、エイジェント・スミスとレストランで、フォークに肉の切れ端を突き刺して語るシーンがある。自分はこれがマトリックス世界のまやかしであると分かっているが、マトリックスが自分にそう思わせてくれる快楽を楽しむことを拒むことはできないと。蓋し、これはこの映画の中心的台詞の一つであろう。
     さて、この作品のストーリーに流れているもう一つのスジは、これがキリスト教学の「洗礼」を受けていることである。モーファイス、ネオ、そしてトリニティー。ネオが救世主としてイエス・キリストであるとすれば、このネオに進むべき道を示したモーファイスは洗礼者ヨハネである。サイファーは、言わずと知れた、30枚の銀貨でイエスを売ったユダである。では、トリニティーはキリスト教学的に言うと何に当たるのか。「トリニティー」とは普通は「三位一体」と訳され、父なる神、子なるイエス、これに精霊を加えた三つの表象でありながら、その本質は同一であるという考えである。しかし、この理解では、神、イエス、精霊の合体したものという男性的特質が何か嗅ぎ取られ、このストーリーの女性であるトリニティーの役柄には合わない。とすると、女性的原理の三表徴が必要となる。ここまで考えると、諸君も察しがつくであろう。聖母マリアと、性を売りながらも聖女たるマグダラのマリアである。しかし、三つ目の表徴が中々思い浮かばない。つとに思うに、これはキリスト教学の枠を超えて恐らくは、あのフランス人画家ドラクロアが描いた、1830年のパリ七月革命の時に革命的群集の先頭に立ち、胸を露わにはだけた自由の女神(にょしん)ではないか。或いは、レスボス島のアマゾンか。いづれにしてもここには闘う女性のイメージが濃厚である。つまり、トリニティーの役柄には、母性と女性(にしょう)、これに戦闘性が一体化されているのである。「新人」たるおぼこのネオをティームの中に受け入れた時にはお姉さん兼母親としてネオを庇い、時にはネオと同等の、黒のラテックス・スーツに身も狭ましと身を包んだ女性戦士として同じ目的に向けて歩む同伴者であり、時には予言通り「キリスト」となるべきネオに愛を捧げる「マグダラのマリア」なのである。
     最後に、ここで私の不純なる動機を諸君に告白しなければならない。即ち、私はこのトリニティーお姉様を拝みがたいために三篇全編を観たことを。

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