マグノリア|MOVIE WALKER PRESS
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マグノリア

2000年2月26日公開,187分
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L.A.郊外のある1日、10数人の男女が織りなす人生模様を、観客の意表を突く意欲的で斬新な語り口で綴った群像劇。監督・脚本は『ハード・エイト』(V)「ブギーナイツ」のポール・トーマス・アンダーソン。主題歌は実力派ソングライターのエイミー・マンで、本作の着想は彼女の同名歌によるものという。音楽は彼女の夫であるジョン・ブライオンで映画音楽は本格的には本作が初めて。製作はアンダーソン、『ロード・オブ・イリュージョン』(V)のジョアン・セラー。製作総指揮はマイケル・デ・ルーカ、リン・ハリス。撮影のロバート・エルスウィット、衣裳のマーク・ブリッジズ、編集のディラン・ティチェナー、SFXのルー・カーリッチは「ブギーナイツ」に続く参加。美術は「カラー・オブ・ハート」のウィリアム・アーノルドとマーク・ブリッジズ(衣裳と兼任)。VFX監修は「スター・ウォーズ 特別篇(三部作)」のジョー・レッテリ。クリーチャー・エフェクトは『シャイニング』(V)のスティーヴ・ジョンソン。出演は「アイズ ワイド シャット」のトム・クルーズ、「フィラデルフィア」のジェイソン・ロバーズ、本作が映画デビューのジェレミー・ブラックマン、「ジャッキー・ブラウン」のマイケル・ボウエン、「キルトに綴る愛」のメリンダ・ディロン、『ポイント・ブランク 殺し屋の憂鬱』(V)のエマニュエル・L・ジョンソン、そしてジュリアン・ムーア、ウィリアム・H・メイシー、ジョン・C・ライリー、フィリップ・ベイカー・ホール、フィリップ・シーモア・ホフマン、メローラ・ウォルターズらが「ブギーナイツ」に続き登場。

ストーリー

※結末の記載を含むものもあります。

L.A.郊外のサンフェルナンド・ヴァレー。曇り空のある日。人気長寿クイズ番組『チビっ子と勝負』を介して、お互いに知らないままつながりを持つ男女の人生模様が映し出される。制作者で死の床にあるアール・パートリッジ(ジェイソン・ロバーズ)の若い後妻リンダ(ジュリアン・ムーア)は悲嘆のあまり混乱の極み。アールは献身的な看護人のフィル(フィリップ・シーモア・ホフマン)に、彼がかつて捨てた息子を探してほしいと頼む。彼の息子は今ではフランク・T・J・マッキー(トム・クルーズ)と名乗り、女性の口説き方をモテない男に伝授する指南役として評判をとっていた。いっぽう、番組の名司会者ジミー・ゲイター(フィリップ・ベイカー・ホール)もガンを宣告されて死期を悟り、彼を憎んで家出した娘クローディア(メローラ・ウォルターズ)の元を訪ねるがすげなく追い返される。薬物に頼って生きる日々の彼女の前には、生真面目な独身警官ジム(ジョン・C・ライリー)が現れた。日暮れと共に雨が降り出す。番組が始まるが、目下天才少年として評判をとるスタンリー(ジェレミー・ブラックマン)は本番前にトイレに行けずおしっこを我慢していたが、ついに漏らしてしまって無言になる。司会していたゲイターも倒れた。同じ頃、その昔番組でスタンリーのように天才少年とうたわれたドニー(ウィリアム・H・メイシー)はなじみのバーへ。そこのバーテンをひそかに恋する彼は、年甲斐もなく歯列矯正ブレスをはめる予定だったが、勤め先の電気店でクビを言い渡されていた。こうして彼らの運命は変転を迎えようとしていた。クローディアはジムとレストランでデートするが、キスを交わした後で逃げ去る。スタンリーは「僕は人形じゃない」と日頃の鬱積を生放送中にぶちまけた。フィルに呼び出されたフランクは、かつて母と共に自分を捨てた父親アールの枕元で激情のあまり嗚咽する。動揺しきったリンダは車の中でアールの薬を服んで自殺を図る。バーでついにバーテンに求愛したドニーは、歯の治療の金を盗むべく電気店へ押し入る。それを目撃したのが車で通りかかったジム。ところがここで思いもよらぬ天変地異が……。かくして、その事件のあまりの不可思議さが、思い悩む彼らの心にあまねく影響を及ぼし、ひとりひとりに“救済”をもたらすのであった。

作品データ

原題
Magnolia
製作年
1999年
製作国
アメリカ
配給
日本ヘラルド映画配給(日本ヘラルド映画=ポニーキャニオン提供)
上映時間
187分

[c]キネマ旬報社

映画レビュー

3.5
  • rikoriko2255

    ミチさん

    4.0
    2011/9/23

    でしょうね。この作品、題名は知っていましたが、私の好きな『マグノリアの花たち』と似た題名なので敬遠していました。
    しかしこの作品も良いですね。『ショート・カッツ』よりもドラマティックで、途中全員が同じ曲を歌うシーンは良質の演劇の一シーンのようです。
    ジェイソン・ロバーズとフィリップ・ベイカー・ホール、ジェレミー・ブラックマンとウィリアム・H・メイシーの役柄がかぶっているような感じもして、ちょっと、整理がされていない部分もあるけど、トム・クルーズの過剰な演技には脱帽!ちょっとお子様には見せられないけど。フィリップ・シーモア・ホフマンやジュリアン・ムーアもちょっと過激かな?まあ熱演と言っておきましょう。警官役のジョン・C・ライリーもまあまあでしょうかね。最初はちょっと怖いけど!

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  • rikoriko2255

    やまひで

    3.0
    2007/9/11

     映画が人生の多様性を描こうとする時どうするか。まずはオーソドックスに時間の流れに沿って、いわば時間の縦軸に合わせて通時的に描くやり方がある。その場合、ある人物に焦点を置くか、或いは事物に焦点を置くかの二つの方法があるだろう。ある人物に焦点を置く場合は、これは典型的な大河小説の方法で、このやり方の大家と言えばロシア小説である。そしてその代表作の一つと言えば、トルストイの『戦争と平和』。その映画化されたものとしては、アメリカ映画であるが、僕の清楚なオードリーに敬意を表して、1956年の作品を挙げておこう。運命に翻弄され、ナポレオン戦争という時代の荒波に揉まれていく様々な人間像、その翻弄される人間たちの一典型としてナターシャの精神的成長が特出される形で描かれる。
     他方、ある事物にフォーカスを当てていく方法もある。かなり古いアメリカ映画で記憶の奥から紡ぎ出してみるに、あるモーニングのそれは一生であった。それが作られ、上流階級の男性に使われ、それが質屋や古着屋に渡って、結局最後にはそのモーニングは黒人の耕す畑の案山子の衣装になって言わばその一生を終えるというものである。また、1947年のH.コイトナー作のドイツ映画『あの日々に』(In jenen Tagen)では、あるフォルクス・ヴァーゲン車が主人公となる。1933年から1945年の狂気のナチス・ドイツ時代に、その車の七人の所有者・運転者が紡ぐエピソードが、この車の運命とともに、あの時代の人の生き様を語るのである。
     この縦軸の描き方に対して、いわば横軸の描き方がある。つまり、この世界をその同時性の点で描くわけである。この手法の最近の例では、メキシコの映画監督A.G.イニャリトゥの三連作だろう。しかし、そのラテン性の情熱のなせる業か、僕にはそれが濃い味過ぎて、残念ながらいただけない。一方、R. Altmanの『Short Cuts』(1993年作)は、老境の枯淡さを出して、さりげなくリレー形式でロスアンジェルスに生きる人間の様々な人間模様が語られる。このスタイルを踏襲しながらも、さらにその人生の同時的な多様性を強調し、またドラマチックに仕立て上げたのが、本作品『マグノリア』である。
     最初は意識的に観衆が誰が誰だか分からないくらいに人物を登場させる。そうでなければ、観衆は神の眼を持つことになる。そうしておいて、映画の中盤、テレビ番組の放映のシークエンスで、今までバラバラであった物が一挙に収束されて関連付けられる。制作、脚本をも兼ねているこのアンダーソン監督は中々の演出の才能を示している。今後の彼の活動を注目したい。

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