隠し剣 鬼の爪|MOVIE WALKER PRESS
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隠し剣 鬼の爪

2004年10月30日公開,131分
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「たそがれ清兵衛」に続く、山田洋次監督&藤沢周平原作の人情時代劇。秘剣“鬼の爪”を伝授された平侍がたどる予期せぬ運命と、信念と愛に生きる姿を描き出す。

ストーリー

※結末の記載を含むものもあります。

幕末の東北。片桐宗蔵は、秘剣“鬼の爪”を伝授された海坂藩の平侍。ある日、かつて家で奉公していたきえが、嫁ぎ先で病に倒れたことを知り、強引に連れて帰る。そんな矢先、藩を揺るがす大事件が起こる。

スタッフ

山田洋次

監督、脚色

大谷信義

その他

間部耕苹

その他

岡素之

その他

佐藤孝

その他

大野隆樹

その他

石川富康

その他

迫本淳一

製作総指揮

久松猛朗

製作

野田助嗣

その他

伊東森人

その他

細川知正

その他

平井文宏

その他

奥田誠治

その他

山崎喜一朗

その他

水田伸生

その他

中井戸信英

その他

吉井伸吾

その他

内木真哉

その他

長坂勉

その他

江川友浩

その他

吉川和良

その他

安永義郎

その他

藤巻直哉

その他

山崎康史

その他

松本肇

その他

古屋文明

その他

小松賢志

その他

山森哲郎

その他

白濱なつみ

その他

中川滋弘

その他

溝口靖

その他

深澤宏

プロデューサー

山本一郎

プロデューサー

相場貴和

その他

井汲泰之

その他

峰順一

その他

斉藤朋彦

その他

北川淳一

その他

藤沢周平

原作

朝間義隆

脚色

長沼六男

撮影

中岡源権

照明

石井巌

編集

岸田和美

録音

出川三男

美術

西岡善信

その他

中込秀志

その他

黒澤和子

衣装デザイン

松田和夫

衣装デザイン

関口綾子

衣装デザイン

ワタナベツバサ

衣装デザイン

冨田勲

音楽

小野寺重之

音楽プロデューサー

深田晃

その他

浅梨なおこ

その他

金田正

スチール

寺尾隆一

その他

帆苅幸雄

音響効果

江川悦子

その他

鳴海聡

その他

久世浩

その他

簔輪勝

その他

花輪金一

その他

作品データ

製作年
2004年
製作国
日本
配給
松竹
上映時間
131分

[c]2004「隠し剣 鬼の爪」製作委員会 [c]キネマ旬報社

動画配信

映画レビュー

4.0
  • rikoriko2255

    やまひで

    4.0
    2010/4/8

     時代設定、人情時代劇のジャンル性、ストーリー展開、藤沢周平原作・山田洋次監督・朝間義隆脚本のトリオなど、その共通性が多い、本作品『隠し剣 鬼の爪』(2004年作)と前作『たそがれ清兵衛』(2002年作)とは謂わば双子的存在である。同監督による、藤沢周平時代劇三部作の完結篇と言われる『武士の一分』(2006年作)は未見なので、コメントは控えたいが、そのストーリーを読んだかぎりでは、前二作とは若干趣が異なっているようである。  東北地方の日本海側にある、架空の地方小藩「海坂藩」、そこで生活する平侍片桐宗蔵(本作)と井口清兵衛(前作)。いづれも五〇十石取りの下士である。時代設定は同じ幕末のことだが、前者が文久元年の1861年のことであるのに対して、後者は慶応年間の1865年のことである。片桐、井口両者とも、普段は目立つ存在ではないが、刀を取らせれば、腕の立つ武士である。そして、両者ともその腕を買われて、上意討ちの討手として、しかも藩内の改革派に対する処罰の手先として遣わされるという運命を負うのである。つまり、二人とも藩命の名の下に保守派の「犬」として利用され、その内容がどうであろうと、「藩命」であることを結局は「当然のこと」として承知し、その「藩命」を実行するのである。これがまた、「武士の分」でもあった。ただ、改革派への処罰という点では、そこに幕末という時代性が表徴されており、両作ともそれが「武士の時代」の終焉への「白鳥の歌」であることを、観る者は銘記するべきであろう。天皇を武家の棟梁と見た、トム何某が主演の駄作『ラスト・サムライ』と対極に立つものである。  『たそがれ』の語り口が、当時幼い娘であった女の観点から語るという形式を取っていること、このことが失われたものへの哀悼の感を強めている。ラスト・シーンでは、回想からストーリー上の現在となり、当時の幼い娘が明治時代に入って中年女性となって(岸恵子、気品があっていい!)、父と継母朋江の墓の前に立つ。そして、オフレコで、武士の魂、剣を取っては腕の立った井口が戊辰戦争で「鉄砲」に撃たれて命を落とした、と語られるのである。時代が変わり、「武士」という存在が過去のものになったこと、そして、その歴史的事実から観る者は何を考えるべきか。このラスト・シーンが、ストーリーの先の見える単純な人情物に歴史性の深みを与えているのである。  他方、『隠し剣』ではどうか。片桐が討つべき、元同門の相手は、片桐の捨て身の剣の一撃を受けたものの、結局は新式銃に剣を持った右手を撃ちもがれるのである。それまで、通奏低音として作品の中に流れていたテーマ、片桐自身が学んでいた英吉利式歩兵練兵法に代表される西洋式の軍事技術が伝統的な武士の剣法を圧倒し、その存在意義を失わせるだろうことを、その血生臭いが、あっけないシーンで決定的に象徴したのである。そうであれば、何故に片桐を討たせに行かせたのか。初めから銃兵隊に撃たせればよいものであろう。この武士社会が形骸化していること、更に、自らに下った藩命なるものの恣意性が顕現したことが、片桐をして、武士の身分を捨て、蝦夷へ行く決意をなさしめたのであった。しかも、それは「桜田門外の変」の翌年のことで、この時点では、誰も徳川幕藩体制が簡単に崩壊するとは予想だにもしていなかった時期のことである。安物の新式大砲の発砲訓練の風景や西洋式の走り方の導入の際に起こるチグハグが醸し出すユーモアを最大限に利用しながら、山田監督は、巧妙に時代変革の非情さを描ききっているのである。  『たそがれ』では、時代の流れに背を向け、自分の家族の幸せを得るために汲々として生きた井口、その内向性が何処から来ているのかが映画では説明されていなかったが、歴史の変動は結局はそんな井口をも捉えてその小さく短い幸福をも井口家から奪い去るのであった。そんな陰のストーリー展開を持つ『たそがれ』に対して、『隠し剣』は、陽のストーリー展開を持った作品である。その日常のユーモアと時代の変動の厳しさを両方描きながら、作中で主人公がその運命を自ら「開拓」していく過程に目が据えられている。この意味でも、元々は百姓の娘で片桐家に奉公にきていたきえとの、『たそがれ』とは逆方向の身分違いの結びつきは、片桐が武士たることを捨てて初めて可能になったのであり、片桐が未開拓の蝦夷で切り開いていく未来の大事な保証だったのである。旦那様を立てながら、自分は実は一枚上手の「きえ」であれば、その保証となることもまた可能であったろう。本作、脚本の勝利というべきである。

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