シェーン|MOVIE WALKER PRESS
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シェーン

1953年10月1日公開,118分
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「生きるためのもの」のジョージ・スティーヴンスが製作監督に当たった心境的西部劇で1953年の発売。ジャック・シェーファーの小説から「果てしなき蒼空」の原作者A・B・ガスリー・ジュニアが脚色し、「腰抜けモロッコ騒動」のジャック・シャーが台辞を追加した。テクニカラー色彩の撮影はロイヤル・グリグス、音楽は「戦う雷鳥師団」のヴィクター・ヤングの担当である。主演は「砂漠部隊」のアラン・ラッド、「西部を駈ける恋」のジーン・アーサー、「三銃士(1948)」のヴァン・ヘフリンで、子役のブランドン・デ・ワイルド、「突然の恐怖」のジャック・パランス、「三人の名付け親」のベン・ジョンソン、「アリゾナの勇者」のエドガー・ブキャナン、エミール・メイヤー「暗黒の恐怖」、エライシャ・クック・ジュニア「犯罪王ディリンジャ」、ダグラス・スペンサー「インディアン征路」、ジョン・ディアクス「マクベス(1948)」、エレン・コービー「恐怖の一夜(1950)」などが共演している。2016年4月9日よりデジタルリマスター版を全国順次上映(配給:東北新社)。

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予告編・関連動画

シェーン

予告編

ストーリー

※結末の記載を含むものもあります。

頃は1890年。初夏。ワイオミングの高原に1人の旅人(アラン・ラッド)が漂然とやってきた。男は移住民の1人ジョー・スターレット(ヴァン・ヘフリン)の家で水をもらい、家族の好意で1晩泊めてもらうことになった。男は名をシェーンと名乗った。妻マリアン(ジーン・アーサー)、1人息子ジョーイ(ブランドン・デ・ワイルド)と3人暮らしのジョーは、かねて利害の反する牧畜業者ライカーに悩まされていたので、冬まででも働いてくれないかとシェーンに頼んだ。シェーンは、何か心に決めたことがあるらしく、町の酒場でライカーの手下から喧嘩を売られたときも、相手にならなかった。図に乗ったライカー一味は、シェーンが再び酒場に現れたとき、また彼に絡み、今度は彼も応えて乱闘が始まり、シェーンはジョーの応援を得て群がる相手を叩き伏せ、酒場を引き揚げた。怒ったライカーはシャイアンから人殺しの商売のウィルスンという男を呼び寄せ、移住民の1人、短気なトリーがウィルスンのピストルの最初の犠牲となった。ライカーに農場の明け渡しを要求され、農民一同のために命を捨てる決心をしたジョーは単身敵の酒場に乗り込もうとしたがシェーンがそれを止め、肯ぜぬジョーを殴って気を失わせて、マリアンに別れを告げた。馬に跨って敵地に歩みを進めるシェーンの後ろ姿をジョーイ少年が追った。酒場で、さすがのウィルスンも一瞬早いシェーンのピストルに斃れた。殆ど同時に3発目の弾がライカーを倒していた。酒場を出ようとするシェーンの後を狙ったライカーの弟も一瞬のうちに命を失った。酒場の表に立つジョーイに、立派な男になれ、といって、シェーンは馬にのって去って行った。その後ろ姿に呼びかけるジョーイの叫び声が、ワイオミングの荒野にこだまして――。

作品データ

原題
Shane
映倫区分
G
製作年
1953年
製作国
アメリカ
配給
パラマウント映画
上映時間
118分

Shane™ & Copyright [c]2016 by Paramount Pictures Corporation. All rights reserved. [c]キネマ旬報社

  • rikoriko2255

    tom

    4.0
    2013/2/2

    名画って言われる作品はやっぱりいいですね。
    シェーンのカッコ良さが輝いてます。
    シェーンの早撃ちには恐れ入りました。
    ストーリーは単純なものなんですが
    銃社会への警笛を鳴らす内容にもなっており、
    そういう意味ではこの時代でも深い作品だと思います。
    アラン・ラッドは大きくない身体ですが
    アクションも迫力満点でがんばってました。
    何と言っても有名なラストシーン。
    「シェーン! カムバック!」を
    心の中で一緒に叫んでしまいました。

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  • rikoriko2255

    やまひで

    4.0
    2008/7/30

     古典的様式美という言葉がある。ここには年月を経て鍛え上げられたもののある種の普遍性と不変性があるのである。長い時間と多くの優れた人間の叡智をかけてスタイル化されたものの普遍的な美しさである。東西の伝統芸能然り、この美はまた映画のジャンルにも当てはまるものである。
     それでは、西部劇の古典的様式美とは何か。それを映像化した物が本作品である。流れ者がある所に吹き寄せられる。何か他人には分からない理由を心に宿しながらその流れ者はその土地の者と関わる。否、関わらざるを得なくなる。この関わり合いによって、その流れ者は、その土地を離れざるを得なくなり、心に哀愁を背負いながら、また別の土地へと漂泊の身を晒すのである。このパターンは、ヤクザ映画にも当てはまり、浩二さんや健さんが明治時代を舞台にやくざを演じる時の美しき常套ストーリーなのである。
     今回久しぶりに見て、なぜ本作品が西部劇の名作であるかに気付いた。昔、僕がまだ若い頃に見た時には、なるほどこんなものか、これはジョーイという子供をうまく使った感傷主義の西部劇だと固定評価を決め付けたものであった。やはり、僕の今の中年の年齢がそうさせるのだろうか、この映画にある、ある時代が過ぎ去ったことへの観念の存在に今回極めて注目させられた。
     時は19世紀末。フロンティアはとっくにもう西海岸に到達していた。アウトローがのさばっていた時代は過ぎていたのである。つまり、「ガンマン」というものもその歴史の中でのアイドルでしかありえない、そういう時代になっていたのである。その過去の囲いの中から抜け出ようとしていたシェーン、しかし、運命はやはり過去の束縛の中に彼を引きずり込み、時代遅れのガンマンは身に傷を受けながら、その土地を去っていく。しかも、そのシェーンに撃ち殺された「悪玉」であるはずの牧畜業者ライカーもまた、悪玉として一元的にはこの映画では描かれてはおらず、カウボーイの時代からファーマーへの時代の展開に乗り遅れた人間として彼の存在を理解しようとすれば、その生き様もまた実に悲しいものである。
     この古典的作品のそのストーリーの味の深さを、この年になって感じることが出来た偶然に僕は深く感謝するものである。

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