篠原涼子
奈美
40代になった女性たちが高校時代の親友と再会しようとする姿を描き、日本でも大ヒットを記録した韓国発の人間ドラマ『サニー 永遠の仲間たち』。同作のファンだという大根仁監督が舞台を日本に移し、90年代に流行した音楽やファッションをちりばめてリメイク。主人公の高校生時代を演じた広瀬すずがコギャルメイクを披露する。
※結末の記載を含むものもあります。
コギャルブームに沸いた90年代に青春を謳歌した女子高生のなかよしグループ“サニー”の6人。彼女らは20年以上の時を経て、それぞれが問題を抱える大人となっていた。専業主婦の奈美はある日、ひさしぶりに親友の芹香と再会するが、彼女は末期ガンに冒されていた。死ぬ前にメンバーに会いたいという彼女の願いを叶えるため、奈美は動き出す。
奈美
奈美(女子高生時代)
裕子
心
梅
奈々(女子高生時代)
芹香(女子高生時代)
裕子(女子高生時代)
心(女子高生時代)
梅(女子高生時代)
藤井渉
中川
新井
梅の兄
芹香
監督、脚本
原作(監督)
音楽
製作
エグゼクティブプロデューサー
企画・プロデュース
プロデューサー
プロデューサー
ラインプロデューサー
音楽プロデューサー
撮影
撮影
美術
照明
録音
編集
キャスティング
助監督
制作担当
スクリプター
VFXスーパーバイザー
装飾
スタイリスト
衣装
ヘアメイク
小道具
サウンドエフェクト
特機
振付
[c]2018「SUNNY」製作委員会 [c]キネマ旬報社
「モテキ」の大根監督の作品だから、大きく期待していたのですが、まったく残念。
現在40代で女性の観客だけを対象にした映画のようで、私には楽しむことができませんでした。
「現在40代で女性」以外の人は、行くだけお金の無駄だと思います。
※告知※ 今後、私のレビューは「映画コム」のほうに順次移行し、ムービーウォーカーに書いていたものは、移行終了後に削除することにしております。ご了承ください。
一見、“感動”の安易な再生産に見えながら、出しゃばらず狂言回しに徹した篠原涼子の善良ぶりと、オーバーアクトでケレンに徹する広瀬すずのウブという時空を超えた奈美の「生真面目」の軸が、客観的で冷静な視点となって過剰な“感動”のぜい肉を上手く削いでいる。
そもそも、おばさんたちの話は本家韓国版『サニー 永遠の仲間たち』(2011)から大きく改変するのは難しく、その部分に仕込まれた“感動”のレベルはすでに織り込み済み。あの摩訶不思議なの女子高生の90年代の狂騒にスポットを当て、青春映画としての華やぎと、躍動と、非理性を戯画化したところに「日本版アメリカン・グラフティ」とでも言いたくなるクロニクル的意義を感じる。
1990年代、特に後半の5年間は大人たちにとって決して良い時代ではなかった。少し前に「日本のどの時代に行ってみたいですか?」というアンケートを見かけた。1位は高度経済成長期(1955~73年)。2位は僅差でバブル期(1987~91年)。20位まで挙げられたリストには幕末やら奈良時代や旧石器時代まであるのに、1990年代は影も形もなかった。
バブル経済崩壊で抱え込んだ多額の不良債権に、日本社会全体が身動きがとれず、戦後の成長神話を支えてきた大手金融機関が成すすべなく破たんした。神戸の震災。松本、地下鉄サリン事件。酒鬼薔薇事件。東電OL殺人事件。和歌山カレー殺人。池袋通り魔や桶川ストーカー殺人。そんな不穏きわまりない事件がこの時代の年表に並ぶ。映画ファンなら記憶にあるだろう『もののけ姫』の大ヒットや『HANA-BI』のヴェネツィア受賞と渥美清や黒澤明の死去なんていう新旧交代もあった、あの世紀末だ。
そんな時代、確かに女子高生たちは異常にはしゃいでいた。茶髪、ルーズソックス、超ミニスカート、プリクラ、ガングロ。彼女たちの「風俗」をメディアはさかんに煽った。煽られた彼女たちもタガが外れたように、頭に乗った。ブルセラショップだ、援助交際だと始めは興味本位に取り上げられた(たぶんほんの一部の)彼女たちの不道徳を、社会学者や宗教家がしたり顔で論じ合っていた。いったい、あれは何だったのだろう。
世紀末の気配に無意識に反応した10代の少女たちの陽性の集団ヒステリー。町の住民に裏切られた笛吹き男の笛の音に、100数十人の少年少女たちが夢遊病者のように導かれ姿を消してしまったという、ハメルーンの笛吹き男の話しを思い出した。
あの女子高校生たちも、時代の節目の見えない不穏な気配に導かれ、思わず踊りだしたのかもしれない。不穏な気配から逃避、あるいは反発する少女たち。そんな不穏な気配は、大人たちが作りだし、右往左往し、増幅させたのだが・・・。そういえば「ええじゃないか」の騒動が発生したのも江戸時代が幕を閉じようとする時期だった。そんなことを考えた。
あと、大根監督、とりあえず淡路島の人たちには謝っておいた方がいいと思う。