橋本愛とキム・ボラ監督が語り合う、『はちどり』が描く死生観と“つながり”「人生をじっくりと覗き込んでいくことを表現したい」

映画ニュース

橋本愛とキム・ボラ監督が語り合う、『はちどり』が描く死生観と“つながり”「人生をじっくりと覗き込んでいくことを表現したい」

「世界の希望と美しさに涙を流しました」(橋本愛)

【写真を見る】橋本愛が明かす、コロナ前後で“変わったもの”と“変わらないもの”とは
【写真を見る】橋本愛が明かす、コロナ前後で“変わったもの”と“変わらないもの”とは

橋本「監督が描きたかった、“人はつながっている”ということを私はそのまま感じ取りました。ウニが橋で涙を流すシーンでは、天と地がつながっている、言葉によって人が精神的につながっていると感じ、それが無数に散らばっている世界の希望と美しさに涙を流しました」

キム・ボラ「私も人との関係はお互いに影響を与え合っているものだと思います。様々な影響があり、その人がいなくなっても魂はずっと残っていく。誰かからかけられた言葉や眼差し、温もりは、人が生きていく上で人生の柄を形成させる要素です。その人がどんな柄をしているのかは、その人がどんな人たちと出会ってきたのかを反映させるもの。
ウニの1年間の旅路を通して、そういうものを表現してみたかったのです。橋のシーンは朝方に撮りたいいうこだわりがありました。事故が起きて人が亡くなっているけど、また新しくなにかが生まれてくるような、胎動する感じを表現したかったのです」

橋本「ウニがチヂミを食べるシーンもとても印象的でした。次から次へと運んでいくあの食べ方が、それこそはちどりみたいで愛くるしさや生命力を感じました。あの食べ方は、演じられた女優さんから発信されたものなのか、それとも監督が意図した演出なのでしょうか?」

キム・ボラ「パク・ジフさんは実際には落ち着いてチヂミを食べる人でしたので、私があんな風に飲み込んでいるように食べて欲しいとお願いしました。『はちどり』には食べるシーンがとくに多く登場します。食べるということは、寂しさや心の渇きを表すと同時に、冷たい空気が流れる家族の食卓のシーンでもある種のあたたかさを見出そうとする。生きていく上で、食べることと人間の感情とどんな風につながっているのかを表現したいと思いました」

「コロナによって私たちは以前よりも人間のつながりについてより深く考えるようになった」(キム・ボラ)

「アジア交流ラウンジ」では8日まで連日、アジアを代表する映画人とのトークが繰り広げられる
「アジア交流ラウンジ」では8日まで連日、アジアを代表する映画人とのトークが繰り広げられる[c]2020 TIFF

キム・ボラ「ずっと考えていることであり、悩んでいることでもある。映画館がなくなってしまうのではないかと多くの方々が心配していますが、そうならないことを望んでいますし、そうならないと信じて希望を持っています。一方で、コロナによって私たちは以前よりも人間のつながりについてより深く考えるようになったのではないでしょうか。
息を通じて感染して伝わっていく。つまり、呼吸をすること、空気を共有しているのだと改めて知るきっかけになりました。私が息をしていることが、他の人にも影響を与えていると体を通じて実感する状況に置かれている。それに、共通の問題意識を考える状況にも直面していると思います。
クリエイターとしては“つながる“ということ、その重要な部分をこれまで見過ごしてきたのではないかと改めて考えさせられました。これから処理していかなければならない現実的な問題はたくさんありますが、私はそれについて絶えず大きな祈りを捧げています」

橋本「私は物質的な変化は感じるのですが、生きている感覚はまったく変わっていなくて。いままでも毎日どこかで人は死んで、誰かが生まれていて、自分もいつ死ぬかわからない恐怖を感じながら生きていて、大切な人がいついなくなるかわからない恐怖もずっとついて回っている。コロナによって世界的にそれが顕在化されたようにも見えるけど、私のなかでそれは変わっていなくて、お芝居をする上でも変わらない。
ただ映画を観る観客としての意識だけは変わりました。いつでも行ける場所、享受する側だと思っていたのが、映画館がなくなるかもしれない危機感で、いまは自分が足を運んで存続に貢献しなければ本当に消えてしまうという、“与える側”という意識が生まれた。本当に映画館に行かなきゃという気持ちでいっぱい。
この前久しぶりに映画館に行ったらとても快適だったので、これからも映画館で映画を観たいなというワクワクでいっぱいです」

取材・文/久保田 和馬

関連作品