吹替版の声優夫婦が主人公!巨匠フェリーニへのオマージュも満載の「映画らしい」味わい
「映画愛」がキーワードになる作品に、凡作、駄作はない…。『声優夫婦の甘くない生活』(公開中)も、そんな映画ファンにとっての法則をクリアする一作だ。タイトルにあるとおり、主人公の夫婦の職業は、映画の吹替版に声をあてる声優。さらに「甘くない生活」という部分にピンときた人は、この作品が間違いなく映画愛に溢れていることを予感してしまうはず。その予感どおり本作は、1960年の名作『甘い生活』を撮ったフェデリコ・フェリーニ監督に、たっぷりオマージュが与えられている。
スターを追い回すカメラマンを「パパラッチ」と呼ぶのは、『甘い生活』が世界中に広めたから、という説がある。それほどの名作を監督した、イタリアが誇る世界的巨匠のフェデリコ・フェリーニ。『甘い生活』のほかにも、『道』(54)の主題歌はバンクーバー五輪で高橋大輔が銅メダルを獲得した際、フリーで滑った曲としても日本人にはなじみ深い。『8 1/2』(63)は2009年に『NINE』というミュージカルにもなっている。4回ものアカデミー賞外国語映画賞を受賞し、数々の名作を世に送り出したフェリーニ監督は、ちょうど今年が生誕100周年に当たる。記念すべき2020年の年末に、この『声優夫婦の甘くない生活』が日本で封切られるのは、なんとも感慨深い。
主人公はソ連(当時)からイスラエルに移民したヴィクトルとラヤの夫婦。ソ連では、2人ともハリウッド映画やヨーロッパ映画の吹替を担当する熟練の声優だった(原題は「Golden Voices」=黄金の声)。しかし新天地のイスラエルでは、ヘブライ語があまり話せない彼らに当然ながら声優の仕事など見つかるはずもない。妻のラヤは、七変化の声の才能を使って、夫には「電話で香水のセールスをする」と嘘をつき、こともあろうかテレフォンセックスの仕事を得る。一方、夫のヴィクトルは、ソ連からの移民も顧客にするレンタルビデオ店で、海賊版のためのロシア語吹替を担当することになり…という物語。
ラヤが若い女性のなまめかしい声でテレフォンセックスの仕事で人気を得たり、海賊版の製作に協力するヴィクトルが劇場の客席で「映画泥棒」したりと、コミカルな要素も盛り込んで軽やかに進みながら、しみじみとエモーショナルな展開も用意する本作。日本ではベテラン声優といえば、スター的な存在。しかしヴィクトルとラヤの夫妻は、他国へ移民したうえに、老境に差しかかる年齢でもある。声のプロフェッショナルでありながら、言葉が通じないという厳しい現実を突きつけられる彼らの姿には、声優文化が盛んな我々からすると、せつなく胸を締めつけられるものがある。
物語が物語だけに、多くの映画が劇中に登場し、セリフとしても引用される。舞台となるのは1990年。フェリーニの遺作となった『ボイス・オブ・ムーン』(90)が公開された年で、ヴィクトルが同作を映画館で上映しようとするエピソードが描かれる。また、『カビリアの夜』(57)はヴィクトルがラヤに恋心を抱いた思い出の作品であり、『8 1/2』がモスクワ映画祭でグランプリを獲得した時、吹替えを担当した彼らはフェリーニと面会。一緒に撮った写真は人生の宝物になっている。ヴィクトルとラヤは、フェリーニ作品と共に人生を送ってきたわけで、フェリーニ作品が作品全体の見事なスパイスとして絶妙な効果を発揮しているのだ。
フェリーニの作品以外にも『スパルタカス』(60)や『波止場』『ローマの休日』(ともに54)、『クレイマー、クレイマー』(80)など映画史を彩ってきた数々の名作が登場。あちこちに散りばめられた映画愛に、イラクからの攻撃でつねに不安が漂っていた1990年のイスラエルでの驚くべき日常を入れ込みつつ、同じ職業で長年、連れ添った主人公たちの絆を温かく見つめた『声優夫婦の甘くない生活』。夫婦の生活は甘くなかったのか?それとも…?ほろ苦さと甘みが絶妙にブレンドされた後味も、じつに「映画らしい」のである。
文/斉藤博昭