『新感染半島 ファイナル・ステージ』を“ゾンビ学”の見地から考察する!
2021年1月1日(祝)より公開のサバイバルアクション映画『新感染半島 ファイナル・ステージ』。大ヒットした前作から4年、荒廃した祖国でゾンビたちと戦い、脱出を試みる主人公たち。手に汗握る展開が約束された本作を、近畿大学でゾンビ学を教える岡本健准教授に「ゾンビ学」の見地から観てもらった。まずはゾンビ学とは?
ゾンビ学とは?
「ゾンビにまつわる様々なメディアや社会現象を総合的に勉強する学問としています。具体的には、例えばゾンビ映画の本数の推移からその理由を探ったり、メディアと絡み合ってゾンビというキャラクターがどういうふうに認知されていったのか、時代を経るごとにゾンビの扱いがどのように変化していったのか、などいろいろな視点でゾンビを研究しています。ただ単に敵キャラとして出てくるだけじゃなく、意思疎通が可能なゾンビが出てきたりとか、人間と共存可能なのか否か、など、社会の変容とともにどのようにゾンビが変わってきているのか、ですとか。そういう話をしつつ、要はゾンビでもこれだけのことが研究できるので、学生のみなさんは自分の好きなことを研究してくださいと(笑)。ですから、最終レポートとしては、ゾンビについて書いてほしいのではなく、研究の手法を学んで自分なりの◯◯学を作ってほしいと思っています」
『新感染半島 ファイナル・ステージ』を観ての率直な感想は?
「すごかったですね。ものすごく良質なゾンビ映画を観させていただいたなと。アクション大作になっていて、ゾンビ映画のおもしろい要素を詰め込んだ一作でした。序盤を観て思い出されたのは小松左京さん原作の映画『日本沈没』(73)。あれはまさに日本という国がなくなったらどうするか、ということを念頭に描かれており、そのために大災害を書いたと言われているのですが、『新感染半島~』は韓国という国が機能しなくなった時、国民はどうするんだろう、という設定で、まさに『日本沈没』を彷彿とさせます。これはどこの国でもありえることですし、このコロナ渦では特に、経済状態が悪化した時にいままでと同じ国でいられないんじゃないか、そういう不安感、恐怖感の延長線にも見えました」
「序盤のシーン、主人公が香港に避難していると『半島から来たやつら』と呼ばれて、『ウイルスをばらまくな』と言われます。前作から4年後の設定ですが、ずっと差別されて続けてきたわけで、そういうの感染者への対応もリアルさを感じさせます。とにかく設定がリアルですよね。荒廃した世界をちゃんと描いているのも楽しかったですね。『マッドマックス』的というか。うらぶれちゃった主人公たち。ひどくなった祖国をこれでもか、これでもかと描いてます。日本でいうと『北斗の拳』とか、あれだけめちゃくちゃになった世界を、リアリティを持って描いているのがすごくおもしろかったです」
ヨン・サンホ監督、独特のゾンビの描き方とは?
「前作も今作もどちらも家族の話、という点では似ていましたが、一作目とは世界の描き方が違いましたし、ゾンビ映画らしい群像劇的な描き方やアクションのすごさが大きく違いましたね。ただ、『ソウル・ステーション/パンデミック』(16)も含めて、ヨン・サンホ監督はゾンビをどこか希望として描いているのはおもしろい点です。問題を解決するためにゾンビ化現象を使うところがあります」
「『ソウル・ステーション~』では、社会的階層をゾンビとなった少女が逆転させる部分がありますし、『新感染~』でも家族とうまくいっていない人がゾンビとなることで変化が生まれるなど、ある種ゾンビになったことによって救われる、といった見方ができるんですよね。そこがすごく印象的で、今回の『新感染半島~』でも、そういったシーンが見受けられました。ある意味ゾンビを味方につけるシーンもあって、光に反応するゾンビを、ライトをうまく使って突破したり、ゾンビを単なる障害として描くのではなく、ある意味ゾンビを使いこなしてサバイブしていく感覚は、監督の特徴なのかなと思えておもしろいですね」
ゾンビ世界の人間の行動について
「ゾンビものの一つのセオリーとして、その世界に過順応していく人々が出てきます。ゾンビが出てきたことにものすごく順応できる人たちです。ゾンビは怖いから逃げなきゃっていう人と、ゾンビを過剰に殺していく、ゾンビを遊び道具のように扱う人。ゾンビが出てくるってことは今までの社会がガラッと変わることで、それまでのルールが通用しなくなる。その世界の中で新しい秩序を自分たちで作ろうとする人たちですね。本作に出てくる631部隊と呼ばれる民兵集団はまさにその典型です」
本作のゾンビ、現代社会の何を象徴している?
「光に反応するゾンビなので、明かりが点くとゾンビがみんなカッと目を見開いて『次はあいつだ』と反応するシーンがあります。群衆が襲うものを決めた時に一斉に襲いかかる、今の社会で連想されるのはSNSでの炎上ですよね。現代の恐怖、というメッセージがあるのかもしれません。その一方で、子どもたちはその状況を利用して、自分たちを有利な方向に持っていく。まるで若い人がSNSうまく利用しているようで、それはそれで興味深かったですね」
ゾンビの魅力とは?
「基本的には自由なところだと思います。多くの人が想像しやすく、かつ、定義的に厳格過ぎない自由。例えば走るゾンビというのは、いままでのゾンビの中心的なイメージを変えちゃいましたが、定着しましたよね。ゾンビファンの中では大論争が起きて、走るのはゾンビではないという人もいましたが、やっぱりあれはゾンビだね、と。この自由さもいいと思うんですよね。特徴の拡張がされていくのがゾンビのよいところです。くだらない設定はその作品だけで消えていきますが(笑)」
走るゾンビの起源は?
「実は意外に古く、『バタリアン』(85)でも既に走っているんですよ。『ナイトメアシティ』(80)というマイナー映画がありまして、ここでも走っています。ロメロの『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』(68)でも、一番最初に車を追いかけるゾンビが若干小走りです。と、あるにはあるのですが、結局そのあと真似されなかったんですけど。『28日後...』(02)とロメロのリメイク『ドーン・オブ・ザ・デッド』(04)、あのあたりで走るのが出てきて、いろいろなところで真似されるようになりました。広がっていく表現というのは、やはりなにかしら受け入れられる素地があるってことですよね」
ゾンビの定義ってなんですか?
「1930年代からゾンビ映画はあるのですが、いまに至るまですべてを包含する定義は難しいですね。意識のあるなしも最近では通用しなくなってますし。『とにかく人間ではなくなっているようだ』としかいいようがないですね(笑)。人を食べる、感染する、というのも要素として大きいですが、呪術とか魔法が原因という場合はあまり感染していかないんですよね(笑)」
ゾンビって実は奥が深い。映画を楽しみながら、自分なりのゾンビ観を確立してみるのもおもしろいかもしれない。
文/月刊シネコンウォーカー編集部