國村隼、夜のゆうばり映画祭で海外の巨匠たちとの思い出を語る
3月2日より開催されていた「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2017」で4日、トークショーイベント「俳優・國村隼KOKOROの声」が催され、國村隼が登壇。1時間以上にわたって、俳優・國村隼の魅力に迫る濃密な話が繰り広げられた。
今回のゆうばり映画祭では、ベルギー生まれのヴァンニャ・ダルカンタラ監督による『KOKORO』(ベルギー=フランス=カナダ合作)、韓国のナ・ホンジン監督による『哭声/コクソン』(3月11日公開)という2本の海外の出演作が招待作品として上映された國村。幼いころから車が好きでエンジニアになりたかったことや、俳優の道を進むことになった劇団時代のことを述懐しながら、いかにして海外でも活躍する名優となったのか、その道のりが紐解かれていった。
國村がスクリーンデビューしたのは20代中盤の頃、井筒和幸監督の『ガキ帝国』(81)だった。その後、映画出演経験がほとんどないままリドリー・スコット監督のハリウッド大作『ブラック・レイン』(89)に出演を果たすことになる。「新聞の小さい記事で、リドリー・スコットが大阪でマイケル・ダグラス主演の映画を撮るらしいというのを見つけまして、これは出たいなと。オーディションをいつどこでやっているかもわからなかったのですが、なんとか調べてもらって受けたんです。その頃は、自分は役者をやっていてもいいのか?と悩んでいた時期なんです。誰にも必要とされていないのであればやっていても仕方がないから、リドリーに下駄を預ける気分で挑戦。それで合格したから、俺はまだ役者をやっていていいんだと思えました」。
『ブラック・レイン』には、高倉健や松田優作といった日本の大スターも出演しており、松田は本作が遺作となった。國村は「日本のロケだけでは撮影しきれなくなり、LAに行くことになったのですが、そこで優作さんとの距離が近くなりました。優作さんにはご飯に何度か誘ってもらって、色々な話をしてくれましたね。その時の話で覚えているのが、『家のドアを一歩出たら見られているということを常に意識しろ』ということと、『自分が主役をやるときは、余計なことをせず周囲に委ねろ、担がれろ』ということ。今でも実践しようと心がけています」と、松田とのエピソードを語った。
その後、『ブラック・レイン』がきっかけとなり香港映画界からオファーが相次ぎ、ジョン・ウー監督の『ハード・ボイルド 新・男たちの挽歌』(92)に出演することになる。「ジョン・ウーの映画が好きで、いつか仕事がしてみたいとあちこちで言っていたんです。そしたらある日、東京にいたときにプロデューサーから突然電話がかかってきて『久しぶりにジョンさんとチョウ・ユンファさんがコンビ組んで映画撮るけど、明日、香港に来れる?』と言われまして(笑)。どんな話かも知らず、自分が何を演じるかもわかりませんでしたが、二つ返事で『行く!』と答えました」。結局、次の日に香港に飛んだ國村はジョン・ウーと対面。「監督は会うなり、『君のここ(顔の中心)が撮りたいんだ』と言って(笑)、その日着いた夕暮れから朝まで撮影。そのまま昼夜逆転生活が一週間続きました。結構おもしろかったですよ」。
そして、大ヒットしたクエンティン・タランティーノの『キル・ビル』(03)にも出演。「来日していたクエンティンが突然『会えない?』と連絡してきたんです。三池(崇史)さんの『殺し屋1』(01)で、僕がやっていたヤクザの存在感がどうしても気になって仕方がないと。それでホテルの部屋に着いたら『ちょっとこれやってくれない?相手役は俺がやるから!』と突然ワンシーンを演じさせられて、なんで呼ばれて行ったのにオーディションされないといけないんだ?って(笑)」と、驚きの熱烈オファーを受けたことを明かした。そんな『キル・ビル』で國村が演じた田中親分は、首を切り落とされる役。「北京のスタジオで撮影したんですが、実は僕が行く2、3日前に僕の(小道具の)生首が先にスタジオに到着してたんですね。だからその後に僕が北京入りすると、生首で顔を既に知っていたから、初対面の現地スタッフたちが指差して笑うんです(笑)」と秘話を語り、会場は爆笑に包まれた。
これほどまでに世界の誰もが知るそうそうたる監督たちと仕事をしてきた日本人俳優は、他に類を見ない。もちろん、先日の日本アカデミー賞で7冠を受賞した庵野秀明監督の『シン・ゴジラ』や北野武監督の『アウトレイジ』、園子温監督の『地獄でなぜ悪い』など、国内の様々な作品でも存在感を発揮し続けている。そんな國村にとって、俳優とは「基本はエンターテイナーであるべき」とのこと。「俳優の仕事というのは、映画であればそれを“ひとつの作品”としてお客さんたちに楽しんでもらうことを、一番の目的としてやらないといけない。お客さんが楽しんでくださったら、対価としてお金をいただくことができる。そういう意識を持って継続してやっていくのがプロの俳優だと思います」と持論を力強く語った。【取材・文/Movie Walker】