「自分は何者なのか?」傑作ミュージカル『イン・ザ・ハイツ』が描く、アイデンティティの探求
弾けるラテンのリズムと切ないメロディにヒップホップのフレイヴァー、そしてダンス!街の人たちが集まる「ボデガ」と呼ばれる小さな食料品店と、そこで交わされるスペイン語混じりの活きのいい会話。伝統のカリブ海料理にカラフルな旗。ちょっと奥手でキュートな恋人たちと、強い絆で結ばれた家族とコミュニティ。なにより未来への夢。これらが見事に凝縮された『イン・ザ・ハイツ』(公開中)は、誰もが心の底から楽しめるミュージカル映画の傑作だ。
本作は4人の若者――親から受け継いだボデガを経営する主人公のウスナビと、美容室に勤めながらデザイナーを目指すヴァネッサ、西海岸の名門大学から帰郷中のニーナと、タクシー会社で配車係を務めるベニーが “Home” (居場所)とアイデンティティを探し求める物語となっている。
ゆえに見事なエンタテインメントであると同時に、ストーリーのあちこちに現実のラティーノ・コミュニティが抱える社会問題が織り込まれている。登場人物たちが直面する問題を通して、移民の国、多様性の国と呼ばれるアメリカのリアリティが理解できるのも本作の魅力だ。本稿では、知ればもっと『イン・ザ・ハイツ』を楽しめる、アメリカの社会事情について紹介していこう。
ワシントン・ハイツ、そしてそこに暮らす人々
舞台となる実在の街、ワシントン・ハイツはニューヨーク、マンハッタンの北部に位置する。かつてはヨーロッパ移民の街だったが、1960年代にカリブ海の島国ドミニカ共和国からの移民が大量に流入。昔はスペイン領だったことから、スペイン語が使われている国だ。同じくカリブ海に浮かぶ米領プエリトリコとキューバ、さらに中南米諸国からの移住者も暮らし始め、マンハッタンにありながらスペイン語のみで生活できる街となっている。ちなみにウスナビはドミニカ系、ニーナはプエルトリコ系だ。
母国の貧しさや政情不安を逃れてやってきた移民が、アメリカで社会階層を上るのは容易ではない。ウスナビを育てたアブエラ(スペイン語でおばあちゃん)は長年、富裕層の家でメイドを続けた。ニーナの父親は高校中退ながら一念発起してタクシー会社を興したが、いまは経営に四苦八苦している。
深刻なビザの問題もある。アメリカは開発途上国からの学歴を持たない移民にビザを出し渋るが、人々はより良い生活を求めて渡米を試みる。ビザを持たないまま、子どもの頃に親に連れられて移住した若者も多く、彼らは“ドリーマー”と呼ばれている。ドリーマーは移民局に見つかれば強制送還となることから、オバマ政権は一時的な滞在資格を与えたが、トランプ政権はそれを剥奪しようとした。今年5月、バイデン大統領はホワイトハウスにドリーマーたちを招いて今後の方策を話し合っている。
こうしたいくつもの困難を乗り越え、成功をつかむ者も少なくない。だが、いくら優秀であっても中央社会に進出すれば人種差別に直面する。それでも彼らは意を決してアメリカン・ドリームを掴みに未知の大海へと漕ぎだすのだ。
世界各地で問題となっている“ジェントリフィケーション”
そんなワシントン・ハイツにはジェントリフィケーションの波が押し寄せている。単なる再開発ではなく、高所得者層の転入を招いて地元民が暮らせなくなる現象を、ジェントリフィケーションと呼ぶ。現実のワシントン・ハイツでは、映画で描かれている以上のスピードで進んでおり、先日は住民の反対運動にもかかわらず、築100年の伝統ある劇場が取り壊された。近々ショッピング・モールになる予定だ。
街の変化の加速度が増すなか、人々はさらなるアイデンティティの模索を続ける。自分はドミニカ人なのか、プエルトリコ人なのか、そのミックスなのか、ニューヨーカーなのか、アメリカ人なのか、移民なのか、英語話者なのか、スペイン語話者なのか。なにより自分が根を下ろすべき場所はどこなのか。
他者からラティーノ、もしくは移民と十把一絡げにされるワシントン・ハイツの人々は、それぞれが幾重にも重なる物語を持つ人間だ。そんな彼らの体温をスクリーンを通して体感できるのが、本作『イン・ザ・ハイツ』なのである。
文/堂本かおる